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いたむ日

どなたでもご参加いただけます

いたむ時と場を置きます。不定期開催。

いたむ日」というのをはじめたいと思います。

いたむ日」に関して、この法人には珍しく、法人の設立前から結構長い時間をかけて、理事間で話を重ねてきたプロジェクトのように感じています。そのくらい大切に育てていきたいプロジェクトの1つです。

さて、いざ始めてみようと思い、日程を決め、場所を決め、その上で、どうやって外に告知をしていくべきかを考える時、本当に言葉というのはやっかいだなと感じますが、「いたむ日」をわかりやすく説明しようと、言葉を積み上げれば積み上げるほど、僕のイメージとは大きくかけ離れていきました。

そこで、その積み上がった言葉を削ぎ落として、
さらに削ぎ落として、

いたむ時と場を置きます。」

にたどり着きました。

現状、これが「いたむ日」を説明する全てです。

これが全てではあるのですが、
補足的に、僕がこのプロジェクトに至るまでの経緯を、なんとか言葉にしてみようと思います。

9年ほど前、僕の大好きだったバンドのギタリストが若くして急逝しました。その少し前、僕はライブ会場で歩いている彼を見つけて、とても緊張しながら、やっと声をかけ、サインをもらい、握手を交わしました。そして、次にあの爆音を全身に浴びるのはいつになるのかな?と楽しみにしていた矢先のことで、僕はなんとも言えない喪失感を抱きました。知り合いでも、友達でもなく、ただの一方的なファンだったというだけですが、そのぼんやりとした喪失感は、その後、数年間続き、たまに思い出してはレコードを聴きました。言ってみれば、僕には関係のない人の「死」なわけですが、なんでこんな気持ちになるのか、自分でも不思議に思いました。

数年後、僕は、毎年の彼の誕生日に、小さな会場を借りて、そこに椅子を並べて、みんなで静かに「いいちこ」を呑みながら、大爆音でそのバンドのレコードを聴いてみたらどうだろうか?ということを思いつきました。すぐに会場を借り、準備をはじめました。青森にそのバンドのファンがどのくらいいるのか想像もつきませんが、2〜3人でも集まれば、きっとそのバンドの、それぞれの思い出話なんかを共有できるかもしれないし、それが僕のぼんやりした喪失感を埋める何かになるのかもしれないなと考えました。でも、結局、その頃の僕は、あまりにも忙しすぎて、そこまで手も、頭も回らなくなり、会場もイベントもキャンセルしてしまったのでした。

ただ、やっぱり、その後も、好きなミュージシャンや、映画人、アーティストなんかの逝去に触れるたびに、このイベントのことはずっと頭の中にあって、どこかに僕と同じような気持ちを抱いている人がいるのかもな?なんて、考えを巡らせたりしていました。

そして、それは長い年月をかけて僕の中で発酵し、

「僕は直接知らない人を、いたむことができるだろうか?」

という強い問いとなって固定されました。

その問いを巡る旅路が、この「いたむ日」と重なっていくのかもしれないなと思っています。

一社)WORKSHOP VO代表
小山田和正

「悼む日」のお知らせ

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