⑪ ラベルとラベルのあいだ

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2023.7.18更新

⑪ ラベルとラベルのあいだ

小山田和正


藤田光治さん(COOKIES)と散歩した芦野公園内の児童動物園(五所川原市金木町)

ラベルとラベルのあいだ

先般、2023年7月1日、当法人が主催して『こころの通訳者たち What a Wonderful World』上映会と、あわせて『Whole Crisis Catalog をつくる。青森編 #004』を開催した。上映会ボ・シネマとしては3回目。『WCCをつくる。青森編』は4回目の開催となる。『こころの通訳者たち What a Wonderful World』は、ずっと興味があり、観たかった映画ではあるのだけど、なかなか青森で観る機会もなく、それならば、という気持ちで上映会を設定した。

上映会を申し込むと、だいたい1週間くらい前に、「必ず事前にDVDが再生されるかどうか通してチェックしてください」という注意書きとともにDVDが2枚送られてくる。もちろん主催であるっていうこともあるし、僕らの上映会はシェア会がメインなので、事前の下調べっていう意味もあるのだけど、なによりも僕が観たいと思っている映画なわけで、それを誰よりも先に観ることができるっていうのも上映会を主催する1つの楽しみになっていて、今回も上映会前に2回鑑賞し、結局、上映会を含めて、3回鑑賞した。

これからこの映画をご覧になる方もいると思うので、ネタバレに気をつけつつ話したいと思うが、この映画は、演劇を耳の聴こえない人にも楽しんでもらうために、舞台手話通訳付きの演劇の制作に取り組む人々を追ったドキュメンタリー映画『ようこそ 舞台手話通訳の世界へ』を、さらに、視覚障害者に音声で伝えようとする人々を追ったドキュメンタリー映画である。

つまり、ドキュメンタリー映画『ようこそ 舞台手話通訳の世界へ』は、演劇の舞台に響くセリフや情景の「音」を、耳の聴こえない人に伝えるために「手話」へ翻訳されていく様子がメインに描かれるが、ドキュメンタリー映画『こころの通訳者たち What a Wonderful World』では、その「音」から「手話」に翻訳された情景を、目の見えない人に伝えるために、もう一度「音」に翻訳し直すという作業が描かれる。

それはAをA’に翻訳したものを、Aに戻すという単純な作業ではない。すでに別の作品とも言える「音+手話」の情景を、どのように音にするか?になる。具体的には、その「手話」の部分をどのようにして「音」にして伝えるか?が、この映画の軸になる。たとえば、舞台手話通訳者は、演劇の演者のセリフを手話で同時通訳するが、その手話を音にしようとした時、当然ながら演者のセリフの声と、その音が被ることになる。それは音声ガイドとしてはタブーになる。それをどうするのか?などの壁を、様々な立場の方が対話を続けながら、合意形成されていく様子が描かれる。

たくさんの壁の中で、僕が一番印象に残っているのが、手話の意味をそのまま直訳された言葉として音にしていくことによって、舞台手話通訳者が手話をしている様子を、音として伝えるのはどうか?と提案される場面だ。たとえば、手話に合わせて、そのまま「わたし」「好き」「りんご」という具合だ。僕自身、映画を観ながら、それは良いアイデアだと思ったし、もうそれしか道はないよねとも思った。

しかし、それに対して、「わたし」「好き」「りんご」という単語はラベルと言って、そのラベルを単純に並べていくのは、とても乱暴だという意見が出される。一瞬場面が凍りつくのを感じる。そして、そのあとのやりとりの中で、僕ははじめて、舞台手話通訳者は単純にラベルを羅列しているだけではないこと、そして、その表現方法は人によって異なり、そのラベルとラベルのあいだにこそ、それぞれがどう表現したら伝わるかという、舞台直前まで試行錯誤される工夫や苦労が重ねられていることを知る。それだからこその、舞台終了後の抱擁であり、涙であることを知る。

これが最終的にどのように合意形成され、晴れて完成をみるのか?ぜひたくさんの方に、この映画『こころの通訳者たち What a Wonderful World』を観て欲しいなと思う。

※7月1日、当日の様子は、ZINE『WCCをつくる。青森編 #004』にまとめたので、興味のある方はこちらよりご支援をお願い致します。

ことばとことばのあいだ

仕事になるとキツイだろうなと思うけれど、映像やPodcastの編集、録音されたものを書き起こしていく作業が好きだ。時間が許すのであれば、いつまでもその作業の中に居たいと思う。どんなところに魅力を感じているのか、自分でもよく分からないが、その一つは、たぶん、すでに手持ちのカードが決まっている中で、どれを残して、どれを落として、それをどうやって組み合わせて、最大限にその魅力を伝えようか?ということを考えるのが好きなのかもしれない。それはたまに依頼されるグラフィックデザインの仕事も同様だ。

当法人の現在の事業に関して言えば、それは『WALKS(さ迷う)』というPodcastの編集になるし、都度発行しているZINE 『Whole Crisis Catalog をつくる。青森編』の書き起こし、そして、まだ全く手をつけられていないけれども、いずれ再開しようと思っている『ちんとぼ』の映像編集になる。これらは、すべて僕自身がその素材、手持ちのカードに含まれているから、僕にとって、クライアントからの依頼とは異なる意味を持ってくる。

たとえば、『WALKS(さ迷う)』というPodcastの編集に関していえば、僕とゲストの方が過ごした時間を切り取っているだけなので、基本的な内容の流れには手を加えていない。しかしながら、2人の過ごしたその時間の環境音に関しては、かなり繊細に手を加えて調整している。それは、つまり、僕らが過ごしたその空間の環境音が僕らの会話、対話に影響を与えているのかも?という仮定からだ。この辺りを話し出すと長くなるので省くが、そういうこともあって、無編集で、適当な感じに聴こえるであろうPodcastだけど、実は何度も聞き返して微調整を繰り返して丁寧に編集をしているつもりだ。

録音された音を繰り返し聞き続けながら、僕は、ずいぶんと離れたところから、僕自身を半分素材として、半分当事者として、僕自身の対応を何度も振り返る。僕特有の癖はもちろん、相槌のタイミングであるとか、つい出てしまったことばとか、届くことなく宙に浮いたことばとか、適当に流した瞬間とか、なんでこんな対応をしてるの?とか、何度も聞き返しながら、素材としての彼をみつめ、当事者としての僕と向き合う。それは、録音されたものをテキストに書き起こしている時間も同様で、ここがクライアントからの依頼とは大きく異なる視点だと感じている。

この不思議な視点とは、つまり、編集者として、素材である2人のやりとりを俯瞰して見る時、ある箇所において、このやりとりは意味が通らない無駄な部分だと判断してカットしようとする。それはとても強力な意思だ。しかし、一方で、当事者の1人としての僕がこのやりとりを見る時、この部分がこの上なく大切な時間だったようにも感じ、それが再現しようがないこの瞬間だけのかけがえのないやりとりのようにも感じて残そうとする。

この両者のせめぎ合いは、ほとんどの場合、当事者に軍配があがり、編集者がカットしようとする部分は残されることになる。なんで?って聞かれても、答えようがない。直感的に、というしかない。あえて言うなら、交わされていることばとことば、それは決して意味のあるやりとりではないのだけど、そのあいだに流れる大切な時間をパッケージできるのだろうか?実は、そこにこそ伝えたいこと、伝わって欲しいことが隠れているんじゃないだろうか?という問いが僕にあるからかもしれない。

ラベルとラベルのあいだ、再び

さて、僕が手話を習い始めて2ヶ月が経過し、ちょうど映画上映会があった日の次のクラスの際、僕たちは手話で「好き」「嫌い」「得意」「不得意」「上手」「下手」「できる」「できない」を学んでいた。

僕たちは2人ずつの組になって、習いたての手話を使いながら、「好き」や「嫌い」を繰り返した。ある程度できるようになると、先生は、それでは、「とっても好き」、「中くらいに好き」「まぁまぁ好き」っていうのはどうしよう?と僕らに投げかけた。僕らはお互いにどうしよう?と顔を見合わせて戸惑った。そこで、先生は続けて、強さ、弱さ、速さ、リズム、表情、硬さ、柔らかさ、それを全て使って表現することの重要さ、さらには、これがあるから伝わるし、きっとこっちの方が大事なんだと思うっていうような話をしてくれた。そして、その表現方法はそれぞれに任されていることも。

先生はいろんな例を教えてくれたけど、実際は全く上手くはいかなかった。びっくりするくらい上手くいかない。今はなぜ上手くいかないのかさえ分からない。だけど、僕は『こころの通訳者たち What a Wonderful World』の舞台手話通訳者の工夫と苦労に少しだけ触れられたような気がしたし、ラベルの話を心から理解できたような気持ちでいる。

そして、もう少し広げるなら、それは決して手話に限らないんだろうということも感じている。ラベルだけを追いかけてたら、伝わらないことがある。ラベルだけを追いかけるなら、一生懸命に工夫しながら伝えようとしている人の気持ちを乱暴に踏みにじることになる。それはきっと音声による言葉も同じなんじゃないだろうか。言葉だけを追いかけてたら、伝わらないことがある。さらには、肩書き、意図せずに貼られるレッテル…とか。

ラベルとラベルのあいだのはなし。

はじめて味噌をつくりはじめました。|2023.7.12 | 約1ヶ月が経過。結構赤みが出てきた感じです。

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小山田和正 linktr.ee
一般社団法人WORKSHOP VO 代表理事
元)東日本大震災津波遺児チャリティtovo 代表
法永寺(青森県五所川原市)住職
FMごしょがわら「こころを調える(毎週月13:05)」