⑩ 何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです。

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2023.6.14更新

⑩ 何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです。

小山田和正

5月、せんだいメディアテークでの集まりに参加した際、鷲田清一氏の言葉の前に立ち止まった。
5月、せんだいメディアテークでの集まりに参加した際、鷲田清一氏の言葉の前に立ち止まった。

静かな教室

「鉛筆と、ボールペンと、シャープペンシルと、筆を、それぞれ言葉を使わずに相手に伝えてみましょう」と講師の先生が、パワーポイントと手話を使い、手話を習い始めたばかりの僕たちに指示を出した。どれも何かを書く道具であるし、そのカタチも似ている。でも、もう少し解像度を上げると、それぞれ全く別のものだ。ちょっとその鉛筆貸してって言ったのに、ボールペンを渡されたら、おい!って強めに言いたくもなる。さて、僕はそれを声を出さずに、どうやって相手に伝えよう。とても困惑して、考え込んでしまった。

手話を習い始めてから2回目の講義だったが、その時点で僕たちはまだ1つの手話も習っていない。その時点で学んでいたことは、手話は、たくさんある伝えるための道具の1つでしかないことと、とにかくどんな手段でもいいから相手に伝えようと努めること、さらに、受ける側はそれを理解する様に努めることに主眼が置かれていたように思う。そこには、講師の先生方が、初めて手話を学ぶために参加している僕たちに対して、まず最初に理解して欲しいことが大いに含まれているように感じていた。

さて、僕たちは、鉛筆と、ボールペンと、シャープペンシルと、筆を、相手にどうして伝えようと試行錯誤している。手話を知らない者どうしだから、身振り手振りで伝え合うしかない。それを相手に伝えるためには、そのものの大きさや、カタチを伝えると理解してもらえるのだろうか?あるいは、その使い方を伝えたほうが理解してもらえるのかもしれない。それぞれがそれぞれの反応に合わせて、工夫しながら伝え合う。じれったい。声に出したら1秒もかからないことに時間がかかる。考える。そうこうして、やっと相手にそれが伝わった時、表現しようがない喜びが感じられる。赤ちゃんがはじめて母親に自分の伝えたいことが伝わった時の喜びって、きっとこんな感じなのかもしれない。

僕は家に戻り、興奮冷めやらぬまま、妻に、その日の講義のことや、伝わった時にどのくらい嬉しいかを話していた。話をしながら、ふと相手のことが頭をよぎった。伝わるっていうのは、つまり、相手がいてはじめて成り立つことに気がついた。つまり、僕の喜び、嬉しさは、確実に相手によって、もたらされたものである。僕のつたない身振り手振りを一生懸命に理解しようと努めてくれる相手がいて、はじめてもたらされる喜び。今、それを心から実感している。

講義のほとんどはパワーポイントと手話を使って行われ、僕らは教室の中では声を発してはいけないルールになっている。静まり返った教室の外からは、時折、通り抜ける車の音や、外を歩く人たちの会話が普段より大きく聞こえる。そんな、とても静かな教室の中ではあるけれども、実はその場所では、先生方を含めて20人以上の大人たちが、それぞれ一生懸命にお互いにコミュニケーションをしようと試み、たくさんの心がひっきりなしに動きまわっている。僕はその空間がとても好きだ。それは、静かだからではなく、きっと一生懸命に伝えようとしている人と、一生懸命に理解しようとしている人が、お互いになんとか理解し合おうとしている場所だから、だと思う。分かり合えなさに一度キレたら終わり。諦めたら終わり。お互いに声を出すことを失いながらも、それでもなおと、粘り強く丁寧に最後まで理解しようと心を寄せ合う営みの場である。

誰かの想いを受けた僕は、僕なりの伝え方で、どうやってあなたに伝えよう。

手話に興味を持ち始めたのは、いつごろからなのか思い出せない。でも、興味のはじまりの問いはよく覚えている。それは僕が言葉をうまく使えないという強いコンプレックスに由来する。今も、なんでお前ごときが毎週ラジオでしゃべってるの?と自責し、毎回落ち込みながらスタジオをあとにする。とにかく喋るのが苦手だ。そのコンプレックスを考える流れの中で、たとえば、聴覚障害の方々は何をどう伝え、何がどう伝わっているのだろうか?と気になりはじめ、それをずっとぼんやり考えるようになった。

今思うと、僕の住む市の社会福祉協議会で、毎年ボランティア団体の集まりが開催されていて、僕も毎年そこに参加しなければいけなかったこともあって、そこで何度も手話サークルの活動や、それに関わる人を見かけていたことが大きいのかもしれない。毎年春頃、手話奉仕員研修生募集という告知を、市報や公的な施設で見かけながら、その頃は春先から冬前までの半年間、週1回の講義が続くフルマラソンのような時間を取れる自信もなく、それでもいつかは自分でもやってみたいなとずっと考えていた。

2021年、以前に僕が運営していた東日本大震災津波遺児チャリティtovoの10年の活動が終わり、少し時間の余裕ができた。その頃、市で手話言語条例が施行されはじめたという記事を読んだことも、僕の背中を押した大きな要因かもしれない。よし、今年こそは!と立志したわけだけれども、時は既にコロナ禍、その手話奉仕員のプログラムも休講になっていた。

手鼻をくじかれた気持ちでコロナ禍を篭って過ごす中、一方で、僕の好きなMCU映画では、『エターナルズ』に聴覚障害者のヒーロー、マッカリが登場したり、スピンオフとなるドラマ「ホークアイ」には、エコーという聴覚障害者が登場(今年の夏以降?には彼女が主人公となるドラマ『エコー』が配信予定)したり、映画『サウンド・オブ・メタル〜聞こえるということ〜』が第93回アカデミー賞で2部門を受賞したり、明年の第94回アカデミー賞では『コーダ あいのうた』が作品賞を含む3部門を受賞したり、その他いろいろな場面で、聴覚障害や、ろう文化が身近に感じられるようになり、なんとなく周りの人たちともその話題となる機会も増え、ろう文化や彼らの生活、コミュニケーションへの僕の興味は一層深いものになっていった。

今、手話を習い始めて1ヶ月くらい。まだスタートにも立ってないような現時点で、僕が手話に関して話せることなど何もないのだけれど、講義を通して、やっぱり前述のように、僕はしゃべることが苦手だし、そもそも僕自身が、僕の考えや想いを誰かに伝えることに、それほど興味がないのかもしれないなとあらためて感じている。それよりも、手話を使う人が何をどう考え、何に触れてどう想うのかを知りたい、理解したい気持ちが強い。そして、その誰かの想いを受けた僕は、僕なりの伝え方で、どうやってあなたにそれを伝えよう。そういう部分に気持ちがフォーカスしている。

そんなふうに考えると、僕がやっていること全てに通底しているものが見えてきて、執着と言ってもいいかもしれないこだわり、いや業とでも言うのかもしれないものが見えてきて、悲しいかな、もうどうやったって僕は僕以外の誰かにはなれないんだろうということも心から痛感する。

こころの通訳者たち What a Wonderful World

ついつい自分の話が長くなってしまったが、先日の法人の会議にて、今年の「ボ・シネマ」に関し、いくつかの案を挙げながら話し合った結果、日にちを来月7月1日(土)とし、上映作品は「こころの通訳者たち What a Wonderful World」と決まった。去年2022年の秋に公開されてから、観てみたいなと思っていたのだけど、なかなか観る機会もないので、自分でその機会を作ることにした。

一言で言うと、2021年2月に上演された手話通訳付きの演劇「凛然グッドバイ」の制作を追ったドキュメンタリーを、視覚障害者に伝えようとする人々を追ったドキュメンタリー映画である。つまり、耳の聴こえない人のための演劇を、どうやって目の見えない人に伝えるのか?という、え?何?って、もう一回頭の中でゆっくり整理して考えちゃうような、入れ子になっているドキュメンタリーになる。興味深いでしょ?

今回も前回同様に、一緒に映画を鑑賞し、その後に、僕たちの普段の暮らしと、この映画を繋げるものを「Whole Crisis Catalogueをつくる。青森編」として、皆さんで60分ほどあっちこっちに対話ができたらと考えているので、どうぞこちらの記事からお気軽にお申し込み、ご参加ください。なお、「ボ・シネマ」のコンセプト並びに会場の関係で、参加者は10名以下に限定しておりますので、興味のある方はお早めに。当日お会いしてお話しできることを、楽しみにしてますね。

「何かを学びましたな。それは最初はいつも、何かを失ったような気がするものです。(バナード・ショー)」トップの写真は、5月、せんだいメディアテークでの集まりに参加した際、入り口に掲げられている鷲田清一館長による「対話の可能性」を撮影したもの。ガラスの反射でうまく映らなかったので、以下、参考までにテキストを。僕はその前でしばしこの言葉に出会えた喜びを噛み締めていました。

2023.6.3〜はじめて味噌をつくりはじめました。 変化を記録できたらと思います。

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小山田和正 linktr.ee
一般社団法人WORKSHOP VO 代表理事
元)東日本大震災津波遺児チャリティtovo 代表
法永寺(青森県五所川原市)住職
FMごしょがわら「こころを調える(毎週月13:05)」