①「『ある原理』への発想はない。とっかかりはある。」

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2023.6.1 更新

①『ある原理』への発想はない。とっかかりはある。

藤林 秀

代表理事の小山田さんから「藤林さん、ウェブサイトでコラムを書いてみない?」とお声がけをいただき、今キーボードをポチポチしています。コラムを書かせてもらうなんて、とてもありがたいです。

WORKSHOP VO!!のウェブサイトを見ていると、小山田さんのコラムは、土台に哲学と言うか宗教学と言うか、そういうのがあるイメージです。様々な切り口から世の中のある原理を探求しようとしている印象です。

赤石さんは、赤石さん自身の農業体験から、世の中のある原理を知ろうとしているように感じております。お二人とも哲学的に、ある原理を探究しようとしている姿勢に尊敬の念を抱きます。

一方、私は、そのような世の中の「ある原理」を知ろうと言う哲学的な発想が無いと気づきました。だからこそ、キーボードを押す手が進みません。

本当に、何とか書こうと思っているのですが、全然思いつかない。仮説を考えてデータを集めて解析するのは好きなんですが、こういう哲学的なのは全く分からない自分に気づきました。

「哲学とは」と某検索アプリに聞いてみると「事物の根本にあると思われる『ある原理』を究めていくこと」とありました。

なるほど。

私が感じていた「ある原理」とは、哲学的に言っても「ある原理」なようです。つまり哲学とは…分かるようで、よく分かっていません。

私自身に「ある原理」を知ろうという発想が無いとしても、その「ある原理」はきっと存在しているんだと思います。しかしながら、私はまだまだ「ある原理」を知ろうとする発想すら持ち得ていません。

悩んだ挙句、自分の生活を振り返ってみました。その中でとっかかりになりそうなのは、子ども達との触れ合いだと思いました。私は地域活動で、子どもと保護者を対象とした居場所活動を行っています。
そこからヒントは無いかな、と考えました。

日本の子どもには、貧困やヤングケアラー等たくさんの社会課題があり、法の整備も行われています。一方で、それらの制度が効果的に働いておらず、他の先進国に比べて後手に回っている現状があります。

私には日本の子ども全員を救う権力はありません。しかし、面識のある子ども達や保護者を通じて、一般の子育て世帯における社会課題を捉えることはできます。

そのため私のコラムでは、子どもや保護者と接した実体験から、私が感じたことをお伝えしたいと思います。読者の皆様にとっては、ちょっとした共感を得ていただいて、なんらかの示唆が得られれば幸いです。この連載を経て、子育てにおける「ある原理」が見つかれば良いな、と感じています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

※写真は、私の子どもです。新しいルアーで釣りを開始したけど藻しか引っかからず「仕方がないか」の表情。

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藤林 秀
・NPO法人ほほえみの会 就労指導員
・母親と子どもの居場所活動 family café あづま~る代表
・子ども食堂 憩いの広場ここまる 主催チームなないろ副代表
・保育士
・修士(健康科学)