⑩ 気ままなタンポポはかくありき

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2023.3.2 更新

⑩ 気ままなタンポポはかくありき

赤石嘉寿貴

始まりと終わり

何かを始める時にはたいてい終わりを決めているし、始まったものは終わりがあるものだと思っている。福津農園に研修に行こう、行きたいと思ったその時にも「じゃあどのくらい研修したらいいのか?」内なる自分はそう問いかける。問いかけられたもんだから「じゃ1年くらいか?農業は一年の周期だし」と農業の「の」の字も知ってすらいない青二才が口を滑らす。

それでは一年間よろしくおねがいします。と福津農園にお世話になった。「君はいつまでいるんだい?」と受け入れる側も同じ問を持っている。知らない者同士、知らないものを学ぶ時の始まりはいつもそんなふうなんだろう。

でも終わりが近づくその時ふと思った。終わりに近づくと何かが始まりかける、動き始める鼓動を感じ始めていると。実はそれは始まった時から動き始めているかもしれなくて、ただ始めた時は初めてすることが多かったり、そのコミュニティーに馴染むために一生懸命でそれを感じ取れないだけなのかもしれない。

去年一年間関わってきた作業のなかだけでは結果を見ることができないものがあった。柿や梅の木の剪定は切った翌年、翌々年と枝が伸びていくイメージその時は想像しながら切っていく。2年目になって初めて作業の結果を受け取ることができる。

でも自分達が想像できることといえば自然の無邪気さを考慮せずに「こんな風に伸びるんだろうな」ということだけだ。来年のあの時期の雨の量は、気温は、虫は、とそれらは自然のみぞ知る領域だ。そんなことに影響されたくない!と思えばビニールハウスで作物を覆って、水の量をコントロールし、温度をコントロールし、すべてをコントロール下に置くことができる。

季節なんて関係ないという態度から、徐々にいろんなものが失われていく。移ろいゆく季節の真っ只中で生きることが様々な知恵を発明してきたのだろうし、植物、動物、昆虫などの生物の栄枯盛衰をまのあたりにして生とは、死とはと考えを巡らしたことだろう。すべての季節で感じた身体への刺激は、その刺激を通して自分の中に記憶としてとどまり続ける。

終わりが近づくと去年はああだった、こうだったと急に始まりが思い出される。たいていの植物はなぜ一年という周期、いや一年とかたぶん思ってないんだろうな。ちょっと暖かい季節が来て、雨がたくさん降る季節がきて、日差しが強烈な季節がきて、日差しも暖かさもそれほどでもない季節がきて、乾燥して凍える季節を感じて、それに合わせて彼らも生きている。

「生きるとは」への扉は開き始める?

生きることはそういう変化を感じること、変化に順応すること、受け入れること。なのかもしれない。彼らは反発しない、それぞれの特性を持っていて、生きることができる時期を知っている。彼らは変化を敏感に感じ取って成長し次の世代へと命を繋いでいく。

草を見ていると次の世代へと命を渡すことに活動のすべてが使われていると言ってもいいくらいだ。切っても切っても伸びてくるイタリアンライグラス、その緑の葉っぱで他の誰よりもたくさんの太陽光を受けて栄養を蓄えて、種にすべてを受け渡す。

親が根っこを張り、土をほぐし、その体を虫や微生物へと渡して、肥沃な土という安心して成長していける場所で種はまた成長して同じ様に生きていく。私達の子供が生きやすいようにと願いを込めるかのようにして用意された場所で。

小山田さんが言っていた。「もし生き返ったとして、もう一回生きてみたいと思える社会だろうか?」と。

まさに生きることは次の世代が生きやすい場所を作ることなんだ。

私達が生きる理由、人生を考える時どうしても自分のこの命を大切にしようと考えてしまう。この人生を使って自分は何をしようと考える。この命を大切にすることはもちろん大事なことなんだけれど、この命だけ、この人生だけ、を大切にして生きることを考えるとどうも虚しく感じてしまう。

自分の人生が豊かなものであったなら、それと同じくらいにもしくはそれ以上に豊かな人生を歩める場所を作ること、もし惨めなものであったとしても、そうならないように豊かな人生を歩める場所を作ること。その視点が欠けたまま生きることは虚しさを抱え続けてあることに他ならない。

人だけ、一人だけは豊かになることはできない。それは草が示してくれたようにたくさんの虫や微生物、動物に自身の身を受け渡し、共生することなしには豊穣な土というものは作られず、自らも生きられないし、子や孫も生きられない。人と人、人と生物、生物と生物は共存・共生しその身を少しずつ差し出し合いながら生きて行かなければいけないのだろう。

自分は松沢夫妻が作り続けている福津農園という豊穣な土の上に根を下ろしてそこからたくさんの栄養をもらいながら、自分のこの身を差し出してた血(?)と汗はこの大地と松沢夫妻の栄養となったのかもしれない。それが共生することだった。

始まりと終わりから始まる物語

始まりは「いつまでいるのだろう?」だったのだろう。終わりに近づくと「もっといてもいいんだよ」と言ってもらえた。

終わりが決まっているはずだった物語には裏面がある。終わりの間際にそれは知らされる。そして、自分が流した血と汗と涙(笑)によって新しい物語へと扉は開かれる。まるでRPGの世界のようだ。ラスボスを倒したかと思えば、裏面が始まる。そこまで勇猛果敢に変化を生き延びてきた主人公たちにとってはもはや裏面さえも楽々乗り越えられる力が備わっている。

終わりは何かの始まり「さぁ勇者たちよこれからが本番だ」と語りかけてくるかのように物語に終わりはない。

農業に終わりはない、めぐる季節のなかで食べものを作り、それを食べてまた生きていく。

この一年活動してきたWORKSHOP VO!!でやっていることは終わりのない取り組みだというか、さっきも言った生きるための土壌づくりに近いことをしているのだろう。

取りも直さず、自然、人生も出口のない迷路のようなものではなく、生きる場所作りなのだと思う。生きるための場所が目の前に広がっているのだ。

風に吹かれてどこまでも

自分は福津農園の欅の大木のようにどっしりと根を張って生きてこなかった。

どちらかと言えば、タンポポのようにその場に太くて長い根っこを張って生きて、ある時が来るとフワフワの綿毛を実らせて、気ままな風にのって宛のない旅を続けている。

タンポポは多年草だ。根を張った場所で何年でも花を咲かせまた種を飛ばしていく、自分の残したタンポポは今でも花を咲かせ続けているようだ。

終わりのない旅を続けるタンポポのように色んな場所で花を咲かせるというのも悪くない、いつかまた根を張ったタンポポの側に種が着地することもある。その時は一緒に花を咲かせるというものいい。

3月5日で福津農園での農業研修は終わるけれども、すでに次のステージへ物語は進み始めている。今度はどんなステージなるのかまた想像がつかない。

サルサソースも続いていく、ごちゃまぜな人生も続く。

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赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせられ、現在は愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで農業を勉強中。 Casa Akaishi(BLOG)

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