㉖ 森作りからタブラの思想
HOME ‣ 連載 | サルサソース ‣ ㉖ 森作りからタブラの思想 (2025.1.26)
森作りの始まり
始まりはいつも先が見えなくて、どこにどうやって道が入って行くんだろう?と思う。
暗く、お日様の光も地面の一部を照らすだけで足元も不安だ。
薄暗い森をかき分けるように目的の場所を目指す。
目的を目指して道を作り始める。そこに至るためにはどういう道を作っていったらいいのだろう?と自分に問いかけたり、誰かに聞いたりしながら、少し上がいいか、下がいいか、いや右か左かと、少しずつ少しずつ道はできていく。
まっすぐに行きたいところだけれど、大きな岩がそれを許さない、それならばとそれをよけて少し遠くまで行ってから折り返そう。
折り返したはいいがちょっと急すぎて息切れしてしまいそうだ。それならば緩やかなカーブを描きながら登っていこう。
そしてようやくなだらかで平らな道を作れそうな場所に出てくる。それでも、大きな木が立ち塞がり、この根っこを引っこ抜くには一苦労しそうだなとそれをかわすように道は続いていく。
この木はここに生きて、思わずして大地を掴み、その場所を支える役目も担っている。それならばそこにいてもらった方がいいだろう。これからも、この作った道が崩れないように道の守り神としてそこにいてもらおう。
まさに山あり谷あり、スイッチバックあり、ジグザグジグザグしながら目的の場所に辿り着く。
誰も踏み込んだことのない場所にはもちろん人が歩けるような道はない。だけど道を作り、進んで行く技術はすでに先人達が残している、あとは勇気の問題だ。
一歩進むごとに、進む前に、足が、手が、全身が恐怖におののくこともある。
それでも、到達したい場所がある。目的とすることがあるのなら、いつもそれさえ頭の中に思い描き続け、現実とそれとをすり合わせ続ける。
そうすれば、いつの間にか最初には想像することもできなかった道ができあがっていて、あんなに暗く人を寄せつけなかった森の木々の間からは光が我先にと地面へと触れたがっているように広がっていく。
そうか、僕らはココにこんな森を作りたかったのか。
目的はいつのまにか目標に置き換わり、ここは目的地じゃなく目標地点だったのかとあらためて思う。
暗く先の見通しがつかないような時でも、こんな風になったらいいな、したいなと思い、そのためにどうしたら良いのだろう?こうかな?あんな感じかな?と言いながら少しずつ進み続けることで想像もできていなかったような場所になっていく。
初めて見る人は、あたかも初めからそんな場所だったかのように思うだろうし、歩みを進めた僕には始めが想像できないくらいに自然にその場所がそこに存在していたような錯覚にとらわれる。
もしかしたら、社長の頭の中にはすでにこの場所が存在していたんじゃないかとさえ思えてしまう。
そんな場所を人に見てもらって、感じてもらって、こんな場所が増えたらいいなと思ってもらえることが、また次の一歩へと繋がっていく。
森のタブラを考えた時のこと
今、僕は「森のタブラ」というイベントのことを考えている。というか考えざるを得ない状況になって、それをやることの意義なんかを云々しながら自問自答していた。
そのそも”タブラ”ってなんぞやって話だけれど、「Tabla」というスペイン語の単語ある。本来は複数形「tablas」で「舞台」という意味になる。Tablaだけだと板とか台とかそういう意味になるが、その意味を少し大きく捉えて単数でも舞台というふうに解釈して「森のタブラ」とした。
去年の5月に森でライブができたらいいなという構想が持ち上がり、僕が林業を勉強させてもらっている新城キッコリーズの手掛ける森の中に無理を言って4m×3mほどのウッドデッキ まさに森の舞台を作った。それの場所は県道から林道を歩いて20分ほどいった先にあり、ちょうど行き止まりのすり鉢状になった地形をしていて音がよく反響する場所になっている。
森の中なので、舞台のそばで音楽を聞いたり、離れて聞いたり、それぞれの人達が心地良いと感じる場所に自由に移動して自分だけの特等席を探したりなんかしてその場所でのライブを楽しんでいた。
ウッドデッキという「舞台」、森という「舞台」
そんなことがあった去年から、また今年もやらないの?という声がちらほらと聞こえだしまたやろうかとライブをやろうと思い立った時に、これまた自分の悪いクセだなと思うのだけれど同じことをしたくない病が発症してしまった。去年はサルサ界隈の人達だけにお知らせをしてイベントを開催した。でも、せっかく新城市でやるなら新城市の人達や、愛知県でやるなら愛知の人達も交えてと考えていたら少しずつ妄想風船が大きくなっていた。
いつもお世話になっている鳳来盆栽センターという場所の裏にある森、その森には入口と呼べるものはなく、ただ*林縁木によって誰も通さん!と言うかのように固く閉ざされ人が立ち入る隙がないように思えた。
*林縁木・・・森に風が吹き込むと木が揺れ、しなることで中の繊維が切れてしまうことがある。それを防ぐために林の一番端の木はわざと枝打ちをせずに残すことで、風が吹き込むのを防いでくれる。
新城キッコリーズの仕事ちょうど去年の10月くらいから、その裏の森の間伐作業に入ることになり、森へ道を通すために入口にあたる部分の木を伐り、固く閉ざされていた森に入るための入口ができた。
新城市内から来ると盆栽センターを右手に見て、さらにその奥にその森の入口はよく見える。間伐作業が終わり、尾根付近の木々の間から空の色が見えるようになった。間伐する前は、暗くて、道もなくてまず入ろうとは思わないし(まぁ勝手に人の森に入ってはいけないのだけれど…)近寄りがたいオーラを放っている。間伐すると森は明るくなり、その印象を変える。なんだか歩いてみたくなるのだから不思議だ。
そんな、森の入口と舞台とイベントという3つのことが繋がり合ってタブラの構想が僕の中で立ち上がった。
そもそも、新城キッコリーズの代表が森林環境学習というものをしていて企業や団体の方々を引き連れ自分の作ってきた森を歩き、森林についてのことをお話するというツアーをことあるごとにやっていた。
さらに僕の趣味兼仕事のようなサルサもそこに混じり合い、「そうか森は一つの舞台になるのかもしれない」と閃いた。
明るく、木漏れ日が注いでくる森というのは気持ちいい、人が入ってみたくなる森だ。そこにいろんな「舞台」を作ったら面白いのではないか?
舞台というのは、様々な演目を表現する場所になり、いろんな人やモノが混ざりあう場所でもある。ある人はある時、主役として、ある人は脇役として、もしくは舞台を彩る端役としてその場所に立ち、一つの舞台あるいは演目をそこに展開する。
「森の奥のウッドデッキでのライブ」という舞台、「森の入口を彩るライブやダンス」という舞台、「井代の森マルシェ」という舞台、「森からの頂きもの木工ワークショップ」という舞台、なんでも「舞台」として捉えることができる。
それぞれの舞台では参加者が主役かもしれないし、それを主催している人が主役だと思っているかもしれない、その逆も言えて、みんなは誰かを引き立てる脇役かもしれない。主役、脇役に良い悪いはないのだと思う。主役だけでは舞台はなりたたない、どんな主役にも脇役、端役はいるものだ。音を流してくれる人、証明を当ててくれる人、もしかしたら、それは人ではないかもしれない、その人が舞台とした環境そのものがなければ、その人自身を主役たらしめることができない。
人はみんな、基本的には自分の人生という舞台の主人公であり主役であるのだと思う。だけれど、ある場所ではだれかの脇役になることもあるかもしれない、というかそうなる時はしばしばある。
マルシェの出店者さんそれぞれは主役だろうし、でもお客さんという脇役がいなければ主役たりえないし、お客さん自身はそのイベントでは主役なのだ。もてなされる主賓なのだ。そんな場所を訪れることで、知ってか知らずか配役の入れ替わりが起こり、変化させられている。主役だったものは訪れる人の脇役に、脇役だったものは迎え入れられる人の主役になる。
ちょうど今読んでいた「聴くことの力」に書いてあるこの一文に影響されているのだと思う。
“他人の歓待とは、<客>を迎え入れる者をその同一性から逸脱させるものである。いいかえるとそれは、「社会的分類のなかで範疇化された」自己を揺さぶり、つきくずすきっかけとなるものなのである。
〜鷲田清一著「聴くことの力-臨床哲学試論- 」”
なぜ人は人を迎え入れられなくなったのかという文脈で書かれたか、その後書かれていくのだったか定かではないけれど、森のタブラを考えていくときに、大きな「舞台」というものがあってその中に無数の小さな「舞台」が見えてきた。
普段は交わることがない者同士でも「舞台」という場所が用意されれば、用意に交わることができるかもしれない、どこか自分に合う舞台が見つかるかもしれない。
いやそもそも自分自身の舞台で主役を演じているし、それをことさら探す必要もないような気もする。ただ、こんな舞台が主流だからここで演じて主役なること、主役に近い脇役になることだけが演じられる舞台だけが、舞台ではないんだ。人には人それぞれの舞台があるし、どんな舞台を見に行ってもいいだろうし、その舞台にのってみてもいい、他人の舞台にのってそれを彩ることもできるだろうし、自分だけの舞台にだれかを招き入れることもできる。
タブラの可能性について思ったことをつらつらと書いてみた。終わり。
目次へ | 次へ
赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせらた。2023年3月愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで研修を終え、現在は山について学ぶべく新城キッコリーズにて木こりとして研修中。 Casa Akaishi(BLOG)