㉔ サウナを欲しているのか水が欲しいのか、僕らはホントは何がほしいのか
HOME ‣ 連載 | サルサソース ‣ ㉔ サウナを欲しているのか水が欲しいのか、僕らはホントは何がほしいのか (2024.7.28)
7月に入って連日35℃近くまで気温が上がっている。昨日の昼は蒸し風呂にいるかのような暑さで湿気が体の周りにまとわりついてきて、必要もないのにもう一枚モワッとした綿のようなものをまとっているような感覚になる。
休みだし、たまっていた「しなければならないことリスト」の項目を一個一個潰していったろと、思ってはみたものの家にいても暑くて、パソコンのキーボードを打つこの手を伝わってくる熱で汗が出るばかりでベタベタと張り付く感覚が不快でそっちに気を取られて何もはかどらない。
サウナと水
避難が必要だ。そう何者をも受け入れてくれる聖域が必要だ。
と新城市民御用達の喫茶店へと向かった。クーラーを効かせた車の車内から出ることをためらう煮えたぎるような暑さの中を一目散に駆け、ささっとクーラーの効いた喫茶店へと逃げ込む。

これがアジールか?いや、お金を払わないといけないんだからアジールではないか、と頭も煮えそうになるくらい暑いのだ。
こんなにクーラーを必要とするなんて、いつからこんなに暑くなったんだろう?いや、むしろ本当に暑くなってるのか?と思って気象庁のホームページに過去の気象データというページがあるので僕の故郷である六ケ所村を見てみると1985年と2022年の6,7,8月の一日の最高気温の平均や最高気温にはさほど差がない。
新城市に住んでいるんだから、そこを調べろという話ではある。がしかし、僕はまだ新城市民3年生なのである。ここに住んで3年、夏は毎年暑いし、ダンスインストラクターと違ってクーラーの効いた屋内じゃなく、太陽がカンカンに照りつける外で活動してきた。農園での研修中には農作物のできが変わってきているという話は何度も聞いていたから、たしかに気象の異常はあるんだろうなとは思う。
平均気温の微妙な違いは農作物をはじめとする様々な植物達に影響を与える。弘前の桜も開花時期がどんどん早くなってきている。詳しくはわからないけれど温度を積み重ねていくことで花が咲くということらしい。
RPGの経験値をためるような、そんなものか?まぁ経験値ならいいなとは思うけれど、たしかに平均の気温が1℃とか違っちゃうとえらいことになる。それでも植物的にはそれでもいいんだろうなとも思う。彼らはただ環境に適応していっているだけなのだから。
僕らも一緒で数℃の変化に敏感なのだろう、エアコンの温度設定を1℃変えるだけで体感温度がずいぶんと違う。実際、さっきまではこんな暑さ耐えられない!と思っていたのにずっと体が冷やされ続けると体は寒っと思って鳥肌を立てていて、寒すぎ。なんて考えてる。本当にわがままな体だ。植物たちはそこから動かず、そこでできる対応策を考えているというのに。。。
そうすべては暑さのせいなんだ。
蒸し暑いサウナは好きで、そのあとの冷たい水風呂が最高なんだよな~
と思っている一方、たかだか気温35℃、湿度70%の屋外にでることを嫌がる。家の外に水風呂でも用意しておけば多少気分はあがるのだろうか?
僕らはサウナに入りたいと思っているようで、そのあとの冷たい水風呂に入りたいだけなんじゃないのか。熱いお風呂のあとにキンキンに冷えたビールやジュース、水でもいい、そういったものが飲みたいだけなんじゃないか、はたして砂漠のど真ん中でサウナに入りたいと思うだろうか?その後にあるご褒美的なものがなければサウナにお風呂に入りたいと思うのだろうか?
水があったなら…と続くはずだ。
サウナは常に冷たい水とセットだ。都会ではオアシスたりえるサウナも砂漠ではオアシスたりえない。そう考えると、やっぱり水を、あの冷たい水を求めていると言える。
わざわざ寒い時期に水に入りたいとは思わないし、そんなの言われんでも分かってるって話だ。
お風呂だってそうだ。湯船に入ったあとに飲むための水がなければ、ちょっと汗ばむくらいにお風呂に入ることなんてするだろうか?
冷たいビールも冷たい水風呂もその前の苦行的な段階を経なければ、それ自体もただの苦行になる。おー つまり、苦行+苦行は快を生むってこと?苦行の後にくる苦行は快、快も続いていけば、苦になってまた新たな苦(快)へってことですかお釈迦様。
ということはだ。苦であるものは快に変わることもあるし、快だったものは苦になることもある。何かとセット、その時の環境(自分自身も含め)、時間軸、とかの影響を受けてそれ自体が持っている苦の成分が多く出てきたり、快の側面が多く出てきたりして、僕らは快、不快を感じている
ってか虫もそうだけど、益虫、害虫と分けているけど、虫は虫でそれ自体に益も害もない。僕らがそう分けているだけなんだから、それ自体に苦が快がとは書いたけれどそれは「それ」なんだよ。だから、僕らの中で苦や快の成分が増減している感じか?
わからなくなってきました。
ボクラモAI
人間の体温は常に一定の温度に保たれているし、保とうとする。人間だって変化に対応する力がある。温度を受け取ることは受動的ではあるけれど、変化を起こすのは能動的でもあるとも言える。受け取り、それに抵抗する。そう考えると能動的ってことは反発することでもあるのかもしれない、しかも自動的、あるものを受け取ることで自動的に反応してしまう。たしかに、自分自身を観察してみると自分自身から出てくるものはそれほど考えたことじゃなくて、だいたい自動的なものだ。
それが良い感情か悪い感情は別として、オートマティックに、チャットGPT(使ったことはないけれど)ではないけれど、打ち込んだ内容に答えるように自動で言葉や表情や身体の動きを生成してくれている。人間もAIやん。人間もたくさんの経験を蓄積してきて、外界からの刺激にたいして「コレガコタエデス」ってな感じでこのカラダを使って何かを生成している。
それでも人間には鳥の眼を持つという特殊能力が存在する。俯瞰したり、客観的にそのオートマティックに発動するものたちを眺めることができる。僕らの中からフツフツと湧き出てくる泡のように浮かんでは消えを繰り返す思考や感情の一つ一つを眺めることだって可能なはずだ。まぁほとんどの場合においてその泡に踊らされてしまっていてコントロール不能になって溺れてしまっているんだと思うが。
僕らも時々、言葉をただのコトバやことば、みたいな感じで特に意味のないカタチとして認識してみるのもいいんじゃないかと思う。

と思いながら、意味のありそうなこと、伝わりそうなことを書いているという矛盾はある。
言葉につきまとう意味なんて結局どこかのだれかがこんな感じでいいんでね?って、んだんだそうするべ!と、それらを教えられてきただけ。そうやって皆で共通の認識を作って分かりやすくしてきたけれど、今度はそのマニュアル的なものに毒されて、それを見ただけで色んな感情や思考が走ってしまうようになっている。
チャットGPTは、その言葉(質問)の周辺に良く出てくる言葉と関係で答えを選んでいるというようなことを聞いた気がする。そうか、僕らも似たようなことをしている。ってか、人間の思考方法を再現していると考えていくとそうなることは必然なのだろう。そこには、感情とかがまだないだけど、質問にたいしてムカついたり、イラっときたりはしない、怒りの言葉や喜びの言葉は返せるのだろうけれど、それもその言葉の周辺に漂うものをピックアップして自動的に返すだけ。
やばい、こうして書けば書くほど、AIと人間の違いが分からなくなってきてしまう(笑)
僕らも今まで教わってきた言葉の周辺に漂う何かを引っ張り出してきて、言葉や表情、態度として表しているのは変わらない。「怒り」だとか「焦り」だとか「恥」、「悲しみ」「喜び」「楽しい」、それらは、こういうことなんだよ。と数十年かけて教えられてきて、無意識に使い続けて色んな出来事や動作の周辺にこびりつく。
こびりついた「何か」は、チェーンソーで木を伐りまくって刃や衣服にこびりついたヤニのように簡単には落ちてくれない。
何を気持ちいい、何を良い、何を好きだと、なぜそれをいいと持っているかということを深ぼれば、無意識の行動の理由が見えてくる。どんなカタチかは分からないけれど、気持ちいいという感覚を得たいと思っている。それが他人からみたら不快に思えても、心地よさを得られている。得られるから無意識レベルで思考や行動としてオートマティックに発動する。とか誰かが言っていたな。
答えもありそうでなさそうなこと、バカみたいなことを考えるには、ひきこもりが必要なのだ。暑さでショートしかけた脳が考えたことをクーラーの冷たさで正常な温度に引き戻し、何バカなこと考えてるんだとcoolに突っ込む自分を立ち上がらせるためにも「ひきこもる」に限る。
吉本隆明もひきこもれ!と言っているんだ。
家に一人でひきこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。まわりからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にもかならず必要なのだとぼくは思います。
〜吉本隆明著「ひきこもれ-ひとりの時間をもつということ-」

赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせらた。2023年3月愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで研修を終え、現在は山について学ぶべく新城キッコリーズにて木こりとして研修中。 Casa Akaishi(BLOG)

