⑲ 分割できない世界を生きる

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2023.12.9 更新

⑲ 分割できない世界を生きる

赤石嘉寿貴

こうして喫茶店でコーヒーを飲みながらサルサソースの原稿を書いているが、世間はすっかりコロナ禍が終わりを迎えたような印象だ。コロナ禍になって、みんなの生活が変わり、もちろんぼくの生活も変わっていきそこから有機農業を学びたいと思ったときに弘前にあるお店においてあった「スペクテイター Vol.49 自然ってなんだろうか」を見て、それがずっと気になっていた。

先月だっただろうか、仙台にサルサのレッスンをしに行った帰り、フライトまで時間があったので街をブラブラしていたときに立ち寄ったお店にもその本が置いてあった。それを買ってしばらく読めずにいたのだけれどようやく読むことができた。

分割できないものを分割してしまう

読み終わって、ちょうど仕事で環境学習会で小学生達と森に入ることになった。準備をしながら田實さんの話を聞いていた。補助金などで関わる県の職員と話が合わない。それはなぜか?という話になった。

森林をどういうふうに見ているかということが大きく関わっている。国には農林水産省、環境省と同じ「自然」を相手にする省がある。けれどもそれぞれの見方は違う。農林水産省のうち林野庁は林業経営、木材産業、森林の経営etc、経済のことを考えている(もちろん環境のことも考えている国土の緑化など)、環境省は脱炭素、資源循環、環境再生、自然環境、生物多様性etcと、同じ自然を相手にしているけれども考え方が違ううえに、自然を分割できるかのように2つの省庁に役割を分けてしまっている。

新城キッコリーズ的にはその間を進んでいる。補助金を使わせてもらうことになると、それぞれの省庁、その下部組織の人と話しをすることになるのだけれど、経済を優先させる人たちと話をすると「それでお金かせげるんですか?」となるし、環境を優先させる人たちと話をすれば「そのような事業にはお金はだせませんね」となる。(僕の想像)

この世に一つしかないものをみて別々に利用しようとしている。国の方針からして初めから分かれてしまっているのだとしたら、そこに暮らす僕たちはもちろんその狭間で揺れ動く、もしくはあっちか、こっちか、と単純にどちらかを選びがちだ。

現代の社会で林業という仕事をしながら暮らしていくのだとしたらそこからお金を得ることも考えなきゃならないだろう。だからといってそこにあるすべての木を伐ってお金に変えるなんてことは人間本位すぎるし、遅かれ早かれそのしっぺ返しがあるはずだ。

自然は人間だけのものではないし、人間も動物の一部であるのだからそれを利用するということはある意味自然なことだと思う。今は色んな資源が暮らすため以上に使われているからおかしなことになっている。様々な資源をお金に変えて、それをさらに何かものに変える。寒さ、暑さをしのぐためにエネルギーに変えられることもあるだろう。もしくはお金にお金を産ませたり。

丸太で米を買うというのはとても不便なことだと思う。丸太をお金に変えて、そのお金で米を買う。たしかにお金は便利なものだ。ん、便利なものだと思いこんでいるだけか?

すべては一つ、関係性という輪の中に生きている

子供たちには自分たちの周りにあるこの森のことを知ってもらう。森はなぜそこにあるのか?なんのためにあるのか?森にある木も生きていること、人間が何もしなくてもそれぞれに生きていくことができる。増えすぎれば光の奪い合いがおこり、光を貰えなかった植物は枯れて行く。そしてちょうどよく間引かれる。そこから漏れる光が地面にさすとまた新たな植物が目を覚ます。

動物の暮らしがその環境にも影響を与える。イノシシは土を掘り返したりすることで地中に酸素を送り込むことになる。と人は理解しているけれどイノシシはそんなことを考えてやっているわけではないだろう。食べ物を探したり体をキレイに保つためだったり、ただ生きるためにやっていることは、何かの命を奪ったり、あらたな生命の誕生に貢献したり、その行為のいち側面だけを見てものを言うことはできない、もっともっと多くの関係性の中で僕たちも動物たちも植物達も生きている。いやそれどころか、石、空気、水、生物とは言えない(そう思っているだけで生きてるのかもしれないが)ものとの関係だって無視できない。ぼくらはカルシウム、リン、カリウムなどなど、ミネラルとよばれるものを必要とする。この地球に暮らす僕らはすべてのものと関わりあって生きている。

腸や胃や口、肌の表面にも数え切れないほどの微生物を住まわせていて、いやかってに住んでいるのか、彼らがいないことには食べたものから栄養も取り出せないのかもしれない。知らなくても生まれたときからぼくらは様々な生物と共生・共存している。

こうして一日を振り返ってみると子供達以上にぼくが学んだことの方が多かった気がする。子供たちは今のぼくが想像もつかないような世界を生きていくことになる。そんなときに今日学んだことがきっと刺激になる子もいるはずだ。

ともすればなぜか歌が流れてくるぼくのあたま。

「みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ」

生きているから色んなことが起こる。それを楽しいと思ったり、悲しいと思ったりしながら笑い、泣いたり、喜んだり、踊ってみたり、歌ってみたり。

何ものかの死をかてに生きているし、生かされている。そしてまた誰かの命になる。そんな関係性の中にぼくらは生きている。

すべての生物は、他のすべての生物と結びついている
すべてのものは どこかに行くはずである
自然がもっともよく知っている
代価を支払わなかれば なにも得られない
〜 生物学者 バリー・コモナー「エコロジー 四つの法則」


赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせらた。2023年3月愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで研修を終え、現在は山について学ぶべく新城キッコリーズにて木こりとして研修中。 Casa Akaishi(BLOG)

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