サルサソース ⑭ 間伐することで整う世界

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2023.7.8 更新

⑭ 間伐することで整う世界

赤石嘉寿貴

ある日の木こり

7月のとある日、雨上がりに出かけようと外に出るとムワッとした空気が肌にまとわりついてきた。7月に入り一気に気温も上がりここ数日の暑さも相まってじんわりと汗が吹き出してくる。「夏ってこんなにも暑いんだっけ?」と毎年のことのように言っている言葉をまた繰り返す。

まだ夏が始まったばかりだけれど、夏の木こりの苦しさに触れてみよう。

アスファルトやコンクリが敷かれた場所とは違い、森の中は気温が低い。作業するために車で山の入り口へ駐車して車を降りるとその涼しさを即座に感じる。程よく間伐され、森を歩く僕らに直射日光が降り注ぐことはない。

木こりは安全のためにチェーンソーパンツというものを履くことが法律よって定められている。色んな素材があるけれど僕らはmonbellのチェーンソーパンツを履いている。表面はバリスティックナイロンという素材が使われている。さらに、チェーンソーの刃で大怪我しないように、特殊な保護材が中綿のように入っている。中綿入の雨合羽のようなものだ。ベンチレーションがついているとはいえ、まぁ気休めだ。まずはそのパンツが体温を引き上げる。

怪我をしないようにということで、ブーツの着用も義務化されている。片足1kgという足かせが追加され木こりの体力を奪う。さらに腰回りには必要な道具をぶら下げ、リュックには半日分の混合燃料にチェーンソーオイルを入れておく。もちろんチェーンソーだけに燃料を補充するわけにもいかない、それを操る人間にだって必要な、この時期最も重要な水分を1リットルほどを入れてリュックを背負う。そして、重量5kgのチェーンソーを肩に担げば現代の木こりの姿が見えてくる。

あぁ僕はこの身に何を背負わされているのだろう。修行僧が修験道を歩くが如く修行に入るのかと錯覚してしまう。いやもしかして修行僧の方がまだ身軽で楽なんじゃないか。いやいやなったこともないくせに楽とか言ってんじゃないよ。

作業の場所まで歩いていく、緩やかに登りが続く林道を10分ほど歩いて到着する頃にはすっかり汗だくだ。

息もキレギレ、伐るための木が立つ場所を目指す。歩いてきた傾斜の3倍くらいはある斜面を登っていく。木を伐りに来たはずなのに僕にはこれは修行以外のなにもにも思えない。時には1時間ほど歩くこともあるらしい、そうかその時のための訓練かこれは、苦しいときこそ奮い立つのが自分なのだ。暑さと蓄積する乳酸でいうことを聞かない体をコントロールする方法を見つけるのだ。お前の踊りのためでもあるんだこの修行は!頭がもうろうとしてきたようだ。

と話がズレそうになるが、ある日の木こりを振り返ってみた。こんなに辛いことばかりではないから、山の仕事にも目が向くといいなと思う。

間伐するということ

林業といってもそれぞれの会社ごとに様々な仕事をしている。一面の木をすべて切ってしまう「皆伐」、道路や家の側の危険な樹木を伐る特殊伐採、通称「特伐」、木の成長のために伐採する間伐、新城キッコリーズでは間伐をメインにやっている。というより林業において木を伐るとは間伐することなんじゃないかと思う。

現在、日本全国に戦後植林されたスギ・ヒノキは樹齢50年~70年を迎えて収穫時期を迎えている。だからと言って一度にすべての木を伐ってしまう皆伐を行うと土砂崩れなどの自然災害のリスクが高まる。年を取りすぎた木はCO2の吸収能力が低下するという話もあるけれど、そのためだけに木は生きているわけでもないだろう。皆伐された場所に再び植林されているのかと問われればそうとも限らないということだ。ハゲ山が増えていくかもしれないと警笛をならしている人もいる。そこには複雑な問題が潜んでいて僕もまだ理解しきれていない。また勉強して書いていきたいと思う。

間伐作業というのをしていてとても面白いなと感じたことがあった。他の木との競争に負けて成長しきれなかった劣勢木や何かの拍子に傷ついてしまって腐りが入ってしまった木、奥の木を出すために太い木も伐る。

木は自然の影響をもちろん受けるけれども、周りに立つ木の影響も受ける。それぞれの木が太陽光を浴びようと枝を伸ばし葉っぱを茂らせる。成長できなかった木を残すと太陽光を遮ってしまうことにもなったり、風通しが悪くなったりして、森全体の健康を損なうことにもなる。そこでそういう木が間伐対象になる。間伐することで森には空間ができて、陽の光が地面まで届くようになり、今まで眠っていた植物も芽を出し始める。

枝葉に覆われていた上空に余白ができると、その空いた空間を埋めるように側に立っていた木が枝を伸ばす。

木と木、人と人、人と自然

人も近くにいた人の影響を受けて自らを成長させていくということを考えさせられるできごとが続いていた。空いた空間にのびのびと枝を伸ばしていく木とは違って、人はそこに空間があるはずなのにどうしてものびのび生きることができないときがある。まだその空間を何かが埋めていて、その影響を受け続けてしまっていることがある。

木のように単純なら(なんて言うと木に失礼かもしれないが)、周りにあるものを取り除いたら成長したり、新しい生物が共に暮す今までと違った環境に生きることができる。人だからこそ動いて自分の周りに空間を作ることも可能だし、自ら影響を受けるものも選べるはずだ。

空いているはずの空間を埋めるナニモノかを振り払うには現実に向き合うしかないのだということも見ることができた。僕らが現実を知るためには話をするしかない、私の考えていることとあなたの考えていること、私はこう思っているけど、あなたはどう思っているのか、違っているのなら、私やあなたは何を見ているのかを語り合うしかない。そこから逃げ続ける限り、亡霊に取り憑かれたかのように成長を阻害され続ける。

語り合うことだけではもしかしたら足りないかも知れない、けれどもあなたの見ている世界と私の見ている世界をすり合わせるためにはそうして互いを理解していくしかない。

森も人間の頭も間伐された森のように余白が作られることで、程よく陽が差し込み、風通しがよくなることで様々なものが醸成する環境が作られる。そしてその環境がまた自らを成長させくれる。

直接向かい合うにはハードすぎる人間関係を見直すには、農業で感じたように人間以外の生物と向き合ったり、林業で森の中の木と向き合うことが必要だ。それは切れてしまっていた他の生物との関わりを作り直すことで人間同士の関係を間接的に見直すことにつながる気がする。それは、とても単純かもしれないけれど自然から離れすぎてしまった生活を送っている僕らに必要な処方箋の一つになるはずだ。

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赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせらた。2023年3月愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで研修を終え、現在は山について学ぶべく新城キッコリーズにて木こりとして研修中。 Casa Akaishi(BLOG)

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