【報告】2022年12月13日「ぎきょくがよまさる(1)」開催しました。

「他者理解」というのはどういうことなのか?また、「待つ」というのはどういうことなのか?という問いが湧き上がってきて以来、ずっと試してみたかった、ベケットの「ゴドーを待ちながら」をひたすらに素読みをするというのをはじめました。プロジェクトの名前を「ぎきょくがよまさる」としました。

分解中
日にち:2022年12月13日(火)
時間:21:00〜(30分)
場所:オンライン
戯曲:ゴドーを待ちながら (白水Uブックス)/サミュエル・ベケット(pg.7 〜 pg.21)
配役:
エストラゴン:小山田
ウラジーミル:Ⓜ︎
ト書き/ラッキー:Ⓨ
ポッツォ/男の子:Ⓔ

現在は、「分解中」として、僕のわがままに付き合ってくれる方々と、オンラインで1つ1つを確認しながら、1つ1つを理解しながらゆっくり進めています。たぶん、1巡するのに、1年以上かかるかも。

いつかリアルでも、とても長いスパンで継続的に開催できたらと考えています。

1回やってみて、とても楽しい時間でした。今はただ楽しく、ただアガリっぱなしの状態でございます。なんか掴めたかも?って思えたら、僕の連載エッセイ「ちゃんとしたかったのにできなかった。」で報告したいと思っています。

ゴドーを待ちながら (白水Uブックス) 新書

【著】サミュエル・ベケット
【翻訳】安堂 信也/高橋 康也

「『ゴドー』に接して、人はむしょうにおしゃべりになりたがっている自分を見出す。
[…] 無数の解釈が生まれ、すれちがい、ゆらめき、消尽されてゆく、その過程がまさにこの作品を観たり読んだりする経験の実体にちがいないのだ。
[…]「ゴドーを待つ」という、あるようなないような枠組(大いなる物語)は、過去と未来のあいだに宙吊りにされたこの現在あるいは現代の瞬間を生き生きとさせるための仕掛けにすぎないのかもしれない。」(本書「解題」より)

田舎道。一本の木。夕暮れ。エストラゴンとヴラジーミルという二人組のホームレスが、救済者・ゴドーを待ちながら、ひまつぶしに興じている──。不条理演劇の代名詞にして最高傑作、待望のペーパーバック化!

Support our projects