【報告】2022年11月29日「SUBURI STUDIO」開催致しました。

正会員のみ

本日、2022年11月29日(火曜日)20:00〜21:30、正会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(11月/月1回開催)」を開催致しました。

お知らせ(【告知】2022年11月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、前回より國分功一郎著『中動態の世界 – 意志と責任の考古学 – 』をテキストにおしゃべりをしております。

今日の主なトピックは以下になります。

今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)

・時間を切りとることは、連なった因果を断ち切り、モノゴトを分かりやすくさせてしまう。
・世の中には能動と受動で分けられない中動的なモノゴトの方が多い。
・法律は中動の世界を整理する。
・中動態に傾きすぎた状態について。
・コロナ禍は能動態と受動態を対立させるパースペクティブを浮き彫りにすることで中動態へと意識を向ける契機になったのではないか?
・非自発的同意、「仕方なく」とは「考えない」ということ?
・障がいのある人にとっての中動態。

『中動態の世界 – 意志と責任の考古学 – 』は、さまざまな方面に話が無限に広がっていきそうな深みのある内容ですので、2回では全然時間が足りず、また数ヶ月後に同著を再び読んでいきたいと考えています。

次回、12月の「SUBURI STUDIO」からは、別の本を読んでいきます。次回の日程と合わせて後日告知致します。

赤石嘉寿貴

2022年11月のテーマ

中動態の世界〜意志と責任の考古学

中動態の世界〜意志と責任の考古学
國分功一郎著

失われた「態」を求めて――《する》と《される》の外側へ
自傷患者は言った。「切ったのか、切らされたのかわからない。気づいたら切れていた」依存症当事者はため息をついた。「世間の人とはしゃべっている言葉が違うのよね」-当事者の切実な思いはなぜうまく語れないのか? 語る言葉がないのか?それ以前に、私たちの思考を条件づけている「文法」の問題なのか? 若き哲学者による《する》と《される》の外側の世界への旅はこうして始まった。ケア論に新たな地平を切り開く画期的論考。

【目次】
プロローグ-ある対話
第1章 能動と受動をめぐる諸問題
第2章 中動態という古名
第3章 中動態の意味論
第4章 言語と思考
第5章 意志と選択
第6章 言語の歴史
第7章 中動態、放下、出来事-ハイデッガー、ドゥルーズ
第8章 中動態と自由の哲学-スピノザ
第9章 ビリーたちの物語

あとがき

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