【報告】2025年5月29日「SUBURI STUDIO」開催致しました。
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正会員・サポーター会員
2025年5月29日(木)21:00〜22:30、正会員・サポーター会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(月1回開催)」を開催致しました。
今晩の参加者は4名。お知らせ(【告知】2024年5月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、現在、斎藤環 著「イルカと否定神学-対話ごときでなぜ回復がおこるのか-」を読み進めています。今回は第3章について皆で話をしてみました。
今日の主なトピックは以下になります。
今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)
* 「患者と同じ姿勢をとったり同じ表情をしたりすれば、気持ちに同調できる。」が対話実践のなかでそれを使うかどうかは微妙なところ。傾聴と対話というもの違いを感じた。
* 方言に引っ張られたり、空気を読んだりすることも人間の同一化能力。
* 自分たちは身体以外に意識が向きすぎている気がする。
* 身体という「末梢の器官」が、言語を通じて「心という中枢的な場所」にどう影響しているかをけんとうしたいと考えているのです。
* 些細なことが、大きなことに影響をあたえる。
* 「空気」を受け入れる。呼吸作用は、息(空気)を移動させ風をおこすことで言葉は気持ちを相手に伝え、人の心を動かす。
* 「多いが上、少ないが下」身体の姿勢に結びついた説明。ネイティブ・アメリカンにとっては未来は後ろで、過去は前。目(身体)で見ることができるもの、見えないもの。
* 日常的な思考においては「中間」が基礎をなす。手話においてはその逆で「椅子」はあるが、「家具」という中間的なものを表現するものがない。
今回の第3章は、対話における身体性について。話しはあっちにいったり、こっちにきたりの繰り返しでしたが、誰もが持つ身体の話しに入り、今までの対話についての話がぐっと自らに近づいてきたように感じます。次回は、ついに最終章「逆説とコンテクスト」になります。
SUBURI STUDIOは、正会員・サポーター会員の方にご参加いただけます。お気軽にご参加ください。
イルカと否定神学〜対話ごときでなぜ回復が起こるのか
イルカと否定神学〜対話ごときでなぜ回復が起こるのか
著/斎藤 環
発行/2024年10月
「ゼロ」からはじめるオープンダイアローグ!
――なぜ対話するだけで、これほどの変化が生ずるのだろう。
――なぜこんな「ふつうのこと」で、回復が起きてしまうのだろう。
ラカン、ベイトソン、バフチン、レイコフ、中井久夫……著者の全キャリアを支えてきた思想を総動員して、この哲学的疑問に真正面から答えた渾身の一冊。
こうして対話という魔法はゆっくりとその全貌を現しはじめた。この魔法のすばらしさは、謎が解けても効くことである。
目次
I 否定神学をサルベージする
1 対話ごときでなぜ回復が起こるのか?
2 「無意識」の協働作業
3 ジャック・ラカンの精神分析
4 こんなに “使える” 否定神学II 構造からプロセスへ
5 「プロセス」をめぐる逆説
6 逆説・プロセス・システム
7 バフチンにおける対話と「プロセス」III よみがえる身体
8 対話における身体性
9 隠喩と身体
10 身体が思考するIV 逆説とコンテクスト
11 「他者」の逆説
12 心は「コンテクスト」にしかない
13 ベイトソンの学習理論
14 対話と逆説
15 コンテクストの転換に向けて引用・参考文献
あとがき
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