【報告】2025年2月26日「SUBURI STUDIO」開催致しました。
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正会員・サポーター会員
2025年2月26日(水)21:00〜22:30、本年初回となる正会員・サポーター会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(月1回開催)」を開催致しました。
今晩の参加者は4名。お知らせ(【告知】2024年2月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、今回は前回からの続き、鷲田清一著『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』第7章〜8章を読んでいきました。
今日の主なトピックは以下になります。
今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)
•人が嫌いだと思っていたけれど、その人に時間を奪われるのが嫌だったのかもしれない
•自分の話を聞いてくれる人を見つけれずにいる
•話を聞いている本人はその時は、聞かせてもらったと思うことはできないんじゃなか
•ケアとはその相手に<時間をあげる>こと、と言ってもよいような面をもちうる
•言葉の<意味>に引っ張られて話を聞けてないかもしれない
•ケアって自分の自覚の届かないところにある
•自分たちが見ている畑と訪れてくれる人がみる畑
•日常と非日常が反転するよう蝶番の場所のようなものは、自分たちが暮らしている場所ややっていることにもある
•呼びかけられてから私が出てくる。自分は遅れてやってくる
•「受け入れられる者は受け入れる者でなければならない。それが歓待の-そして愛の-掟である」。他者に「出会う」というのは、少なくともおのれの同一性の外に出る用意があるということだ。
•何ももたないこと、家も財産も根拠地も奪われてあること、それこそが歓待を可能にする
•東日本大震災の時に大道芸人が受け入れられ、そのままその地に住み着いたことが思い返された
SUBURI STUDIOで読んできた本の中でも、たぶん、一番長い時間をかけて読んできた本かもしれませんが、なかなか頭も言葉も追いつかずのままに最終章。何人かで読まないと挫折してたかもしれず、そういう意味でも今回の機会はありがたいことでした。きっと生涯で何度か読み返す本になりそうです。
さて、次回からは新しい本になります。現在、読みたい本をピックアップしている最中ですので、決まりましたらウェブサイトで告知致します。
SUBURI STUDIOは、正会員・サポーター会員の方にご参加いただけます。お気軽にご参加ください。
「聴く」ことの力 ─臨床哲学試論
「聴く」ことの力 ─臨床哲学試論
著/鷲田 清一
発行/2015年4月8日
「聴く」―目の前にいる相手をそのまま受け止めるいとなみが、他者と自分理解の場を劈く。本書は、不条理に苦しむこころからことばがこぼれ落ちるのを待ち、黙って迎え入れる受け身の行為がもたらす哲学的可能性を模索する。さらにメルロ=ポンティ、ディディエ・アンジュー、レヴィナスなどを援用しつつ、ケアの現場や苦しみの現場において思考を重ねることで、「臨床哲学」という新しい地平を生み出した。刊行以来、多くの人に影響を与えた名著が文庫で登場。第3回桑原武夫学芸賞を受賞。植田正治の写真とともに贈る。
目次
第1章 “試み”としての哲学
第2章 だれの前で、という問題
第3章 遇うということ
第4章 迎え入れるということ
第5章 苦痛の苦痛
第6章 “ふれる”と“さわる”
第7章 享けるということ
第8章 ホモ・パティエンス
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