【報告】2024年9月27日「SUBURI STUDIO」開催致しました。

HOME ‣ PROJECT ‣ SUBURI STUDIO

正会員・サポーター会員

本日、2024年9月27日(水)21:00〜22:30、正会員・サポーター会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(月1回開催)」を開催致しました。

今晩の参加者は3名。お知らせ(【告知】2024年9月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、今回から、鷲田清一著『「聴く」ことの力-臨床哲学試論』を使った読書会がはじまりました。

今日の主なトピックは以下になります。

今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)

• <メタ>というのがどういう場所なのか、それへの問が哲学の中枢神経なのだ。その問題を問わないで、いきなり街に出るというのはグロテスクである。
• この世界と数行のことばとが天秤にかけられてゆらゆらする可能性
• 哲学はだれかとの対話とともに始まった
• 自分たちが書いているものはここでいうエッセイなのか?
• <試み>としてのエッセイ
• 法事は時間の共時性、亡くなった人と時間をともにする
• 哲学を哲学研究者が独占しているのは、学問にとって不幸なことである
• 「眼がかちあうこと」と「まなざしを向ける」ことのシンクロナイズがわかなくなった
• 物理的に眼があうというよりは、「共同の現在」ということかな

今回は、第1章〜第2章を読んでいきましたが、今まで読んできた本の中でもトップクラスに、なかなか理解の及ばないハードルの高い内容で、参加者でああでもないこうでもないと、ひたすら悩む時間となりました。もう少し深めたいということになり、次回は再度、第2章からになります。

正会員・サポーター会員の方にご参加いただけます。お気軽にご参加ください。

「聴く」ことの力 ─臨床哲学試論

「聴く」ことの力 ─臨床哲学試論
著/鷲田 清一
発行/2015年4月8日

「聴く」―目の前にいる相手をそのまま受け止めるいとなみが、他者と自分理解の場を劈く。本書は、不条理に苦しむこころからことばがこぼれ落ちるのを待ち、黙って迎え入れる受け身の行為がもたらす哲学的可能性を模索する。さらにメルロ=ポンティ、ディディエ・アンジュー、レヴィナスなどを援用しつつ、ケアの現場や苦しみの現場において思考を重ねることで、「臨床哲学」という新しい地平を生み出した。刊行以来、多くの人に影響を与えた名著が文庫で登場。第3回桑原武夫学芸賞を受賞。植田正治の写真とともに贈る。

目次
第1章 “試み”としての哲学
第2章 だれの前で、という問題
第3章 遇うということ
第4章 迎え入れるということ
第5章 苦痛の苦痛
第6章 “ふれる”と“さわる”
第7章 享けるということ
第8章 ホモ・パティエンス

Support our projects

HOME ‣ PROJECT ‣ SUBURI STUDIO