【報告】2024年3月27日「SUBURI STUDIO」開催致しました。

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正会員・サポーター会員

本日、2024年3月27日(水)21:00〜22:30、正会員・サポーター会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(月1回開催)」を開催致しました。

今晩の参加者は4名。お知らせ(【告知】2024年3月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、今回は前回からの続き、伊藤亜紗著『手の倫理』の第5章〜第6章を読んでの感想をシェアしました。

今日の主なトピックは以下になります。

今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)

・ハンドルネームっていいなと思った
・「現在への集中」は、「信頼」の問題と密接に関係している
・伴奏してもらう側からすれば、必要以上に声をかけられるのは、迷惑で言葉が「共鳴」にたいする「切断」になる
・「動作の共有」と「行為の共有」
・日舞の舞台上で先生と一緒に稽古をするとなんだか踊れた気になる。身体能力の貸し借りのようなことが起こる
・直接さわるということの方がダイレクトに情報が伝わるような気がするが、何かものを介してつながることの方が生々しさが伝わる
・「行為」には意思がありそう、この本でいうところの「伝達モード」
・人を100%信頼してしまったあとの何とも言えない開放感と味わったことのない不思議な幸福感に満ちた時間、それは信仰とかの構図に似ている
・諦めた時に「現在」に集中できる
・弱い紐帯
・気にさわると、気がふれるは感じに直すと違った意味になるので腑に落ちなかった
・人間は関係性でしかない、分人主義とは違う感覚
・手の触覚から思い出されることは?

今回は第5章〜第6章ということでしたが、話題のほとんどは第5章「共鳴」で、「共鳴」をコミュニケーションという観点でどのように捉えていくかという部分が中心だったように思います。普段、「共鳴」を感じる時はどんな場面か?それはどんな時に起こるのか?興味はつきませんでした。

今回で、『手の倫理』は最終回。
来月、新年度よりは新しい本を読んでまいります。詳細は後日ウェブサイトで告知致します。

正会員・サポーター会員の方にご参加いただけます。お気軽にご参加ください。

手の倫理

手の倫理
著/伊藤亜紗
発行/2020年10月09日

初めて患者さんと出会ったとき、暴力をふるわれそうになったとき、“回復に耐える力”がなさそうなとき、私はどんな言葉をかけ、どう振る舞ってきたか――。当代きっての臨床家であり達意の文章家として知られる著者渾身の1冊。ここまで具体的で美しいアドバイスが、かつてあっただろうか!

【目次】

第1章 倫理:ほんとうの教育/フレーベルの恩物/「倫理一般」は存在しない 他
第2章 触覚:低級感覚としての触覚/内部的にはいりこむ触覚 他
第3章 信頼:安心と信頼は違う/「ふれられる」とは主導権を手渡すこと 他
第4章 コミュニケーション:記号的メディア/物理的メディア/伝達モード/生成モード 他
第5章 共鳴:遊びから生まれる「共鳴」/「伝える」ではなく「伝わっていく」 他
第6章 不埒な手:介助とセックス/不道徳だからこそ倫理的でありうる 他

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