⓪ まえがき

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2022.5.31 更新

⓪ まえがき

赤石嘉寿貴

「サルサソース」その言葉は日本でもよく知られている言葉だろう。自分は「サルサ」というダンスを教えていた。サルサをやっていますと言うと「あのサルサソースの?」という言葉がよく返ってきた。キューバでスペイン語を学んできた自分は「サルサソース」という言葉にとても違和感を感じている。

サルサというのはスペイン語で「Salsa」と表記する。そしてその意味は「ソース」なのだ。だから、9割くらいの日本人は意味も分からず「ソースソース」と言っているのだ。「ソースソース」とはなんだ?意味が分からない。が、サルサソースという言葉の響きは何だかいい気がする。そんなノリで言葉はできある時もあるのだろう。

そもそもソースというものは何なのか?

何かにかけたり、何かの横に添えられたりするもの、それだけでは主役になれないけれど、それがないと何だか物足りない。主役に取って代わることはできれないけれどそれだけでは存在する意味を得られない脇役的なもの。そして、何かと混ざりあうもの。

そもそもソース自体が色んなものと混ざりあった結果できあがったものだ。家庭に一つはあるだろう中濃ソースを手にとってもみてもよいだろう。あの液体は何種類かの野菜や果物、香辛料が混ざり合ってできたものだ。

ソースの成り立ちをたどっていくと分かってくることがある。どうして踊り、音楽に「サルサ」という名前がつけられたのか?諸説あるが1960年代のニューヨークでキューバやプエルトリコなど中南米の国々のミュージシャンが親しんでいた自分達のラテン音楽とニューヨークのジャズやソウルなどの音楽が混ざり合って生まれたと言われている。

これは自分の解釈だけれど、ソースのように様々な音楽が混ざり合ってできたものだから「Salsa(サルサ-意味はソース)」と呼ばれるようになったのではないかと自分は思っている。

まさに自分の人生も、これを読んでくれている人の人生も色んな人と関わり合ったり、色んな出来事が混ざり合ってできている。単色で薄い濃いはあるかもしれないけれどたくさんのものが溶け合ったソースのように、味わってみなければ分からないそれぞれの深い味わいがある。

2022年3月からサルサを教える道から外れて農業を学ぶという道を歩いてる。あっちこっち行って色んな材料を集めて、ごちゃ混ぜの自分の人生はサルサ(ソースという意味で)を体現している。ボの代表から「サルサからは逃れられないんじゃない?」なんて言葉をかけられた。

自分が見たもの聞いたことは自分の味を深めていくだろうし、それがだれかの人生の味つけの足しになるかもしれない。コラム「サルサソース(仮)」は、筆者、読者相互のアウトプット、インプットの場として存在していけたらいいなと思います。

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赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせられ、現在は愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで農業を勉強中。 Casa Akaishi(BLOG)