【報告】2024年2月26日「SUBURI STUDIO」開催致しました。

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正会員・サポーター会員

本日、2024年2月26日(月)21:00〜22:30、正会員・サポーター会員によるオンラインミーティング「SUBURI STUDIO(月1回開催)」を開催致しました。

今晩の参加者は4名。お知らせ(【告知】2024年2月「SUBURI STUDIO」のお知らせ)しておりましたように、今回は前回からの続き、伊藤亜紗著『手の倫理』の第3章〜第4章を読んでの感想をシェアしました。

今日の主なトピックは以下になります。

今回語られたトピック(ファシリテーター:赤石嘉寿貴)

・不確実性を乗り越える「信頼」から、それを意識しなくなる「安心」へ
・責任がないからこそ差し伸べられる手がある
・ストッパーをかけることが安心、安全
・信頼を築くは関係性の話、安心は場、自分の心の状態
・刹那的であればあるほど安心
・本当の安心は個人に閉じている
・共話、と生成モード
・これから関係性を取り結ぼうとする接触点としてまなざされている。
・踊りの先生に手を貸して、借りられて階段を降りる時のことが思い出される
・今思えば私は亡くなった方に「さわった」ような気がする
・介助はやりとりに先立ってではなくその中から生まれてくる
・「介助」アレンジメント複合体、障害者、介助者、フォロワー、リーダー、介助するときも、ダンスを踊るときも、主体、客体はなく、様々条件などが複合的にからみあって進んでいく
・伝達モードのままだと自信がなくなってくる

今回はコミュニケーションの話題が多かったように思います。普段の暮らしの中の何気ないコミュニケーションに、「さわる」「ふれる」から「伝達モード」「生成モード」などの補助線を加え、それを意識してみると、ずいぶん伝え方も違ってくるように感じました。
次回で、『手の倫理』は最終回になります。とても楽しみです。

正会員・サポーター会員の方にご参加いただけます。お気軽にご参加ください。

手の倫理

手の倫理
著/伊藤亜紗
発行/2020年10月09日

初めて患者さんと出会ったとき、暴力をふるわれそうになったとき、“回復に耐える力”がなさそうなとき、私はどんな言葉をかけ、どう振る舞ってきたか――。当代きっての臨床家であり達意の文章家として知られる著者渾身の1冊。ここまで具体的で美しいアドバイスが、かつてあっただろうか!

【目次】

第1章 倫理:ほんとうの教育/フレーベルの恩物/「倫理一般」は存在しない 他
第2章 触覚:低級感覚としての触覚/内部的にはいりこむ触覚 他
第3章 信頼:安心と信頼は違う/「ふれられる」とは主導権を手渡すこと 他
第4章 コミュニケーション:記号的メディア/物理的メディア/伝達モード/生成モード 他
第5章 共鳴:遊びから生まれる「共鳴」/「伝える」ではなく「伝わっていく」 他
第6章 不埒な手:介助とセックス/不道徳だからこそ倫理的でありうる 他

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