⑤ 平等にわからない

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2022.12.23 更新

⑤ 平等にわからない

小山田和正

死んだらどこにいくんでしょうね?

コロナ禍に入り3年、たまにお寺に電話してくれる方や、寄ってくれる方はいても、すっかり僕自身が継続的に施設を訪ねたり、ご自宅を訪ねたりすることもなくなってしまったし、すでに懐かしい想い出に代わりつつあるけれども、終末期の方との対話の中で、(僕がお坊さんだということに起因すると思うが)どこかのタイミングでだいたい尋ねられることがある。

「死んだらどこにいくんでしょうね?」

いや、実は僕だってわからない。きっと答えられる人なんていない。だけど、「死んだらどこにいくんだろう?」っていう問いが湧き上がってくる気持ちはよく理解できる。僕はたまたま健康な状態で、根拠なくいつまでも生きていると信じていて、先を、そのまた先を、どこまでも先延ばしにして生きている。でも、その方は違う。ある方は僕に、「毎日、毎日、時間という強い力に背中を押されて、真っ暗闇のトンネルの中に、無理やり押し込まれていく感覚だ」と、その時の気持ちを話してくれた。

「死んだらどこにいくんだろう?」に明確な答えはなくても、その方のその問いに真摯に「応えて」いけたらなぁとは思う。でも、そんな簡単なものじゃない。それが誰にもわからないことである以上、自分はどう信じるか?を、自分で信じてもらうしかない。それはすでに自分の奥に在るものだと思うし、きっとそれを一緒に探したり、思い出したりする手伝いはできそうだ。それが、その問いに「応える」ということだ、と、今は思う。

デスカフェ

今年、2022年7月に1回目の「DEATH CAFE VO!!」を開催して以降、おかげさまで毎月開催することができ、先日(【報告】2022年12月12日「第5回 DEATH CAFE VO!!」開催致しました。)のデスカフェが5回目の開催となった。参加希望を頂いてから、希望者で日程を調整していくっていう、「待ち」のスタイルで、毎月開催できたのは申し込みしてくれる方のおかげと深く感謝している。

「デスカフェ」の存在を知ったのは、もう随分前の話だ。東北大で受講していた死生観に関するクラスの中で先生が紹介してくれて興味を持った。以降、出張などで県外に出かける際に、検索してチャンスがあれば「デスカフェ」に参加してみたりした。コロナ禍に入ってからは、オンラインのデスカフェも開催されるようになったので、そういうのにも参加した。

どんなカタチであれ、いつか僕自身が開催するというのは決めていた。わざわざ県外で開催しているデスカフェに実際に参加してみる理由はただ1つ、さて、僕の住む地域で開催するには、どんなカタチがいいのだろうか?を、僕の住む地域の方々の顔を思い浮かべながら考えるためだった。外からやってくる地域創生がほとんど短期で失敗に終わり、すっかり忘れ去られてしまうように、どこかのそれをそのまま真似をしても仕方ない。

「死」のことについておしゃべりしてみよう!と一口に言っても、世界中に様々なスタイルのデスカフェがあるように、「死」に対してのアプローチの道はたくさんあるし、そもそも、その地域の土壌によって、その捉え方もアクセスの道も違うだろうと仮定していた。青森県むつ市の恐山や五所川原市の川倉地蔵尊が根ざしている、僕の立つ土の上で語られる「死」とはどんなものだろうか?その土の上に立つ「生」とはどんなものだろうか?その土の上で開催される「デスカフェ」とはどんなものだろうか?

今もずっとそんなことを考え続けている。

DEATH CAFE VO!!

今までデスカフェを5回開催してきて、そのうち4回は県内在住の英語圏の方々を交えてのデスカフェとなり、毎回、英語と日本語が行き交う場となった。(いつも英語圏の方と一緒に参加してくれる方には最大限の感謝を示したい。)

死に関する絵本をスタートに「死」についておしゃべりをしていくスタイルでやってみようと決めたのはいいけれど、英語圏の方が参加するなんてことまでは考えていなかった。僕は英語に苦手意識はないけれど、流暢に英語を話せるわけではない。「死」やその周辺に関する繊細な話題を話せるくらいの英単語も英文法も持っていない。毎回、事前に絵本の内容をざっと英訳しながら、あぁどうしようと不安になった。

毎回不安ではあったけど、でも、やってみるとそれぞれが楽しく、充実した時間となったし、かなり深い対話になっていった。参加された方々の反応からもそれを強く感じる。日本語を使うものどうしだから話が深くなっていくわけでもなく、伝わるってわけでもないんだなぁと気づいたのはとても大きいことだった。僕自身、今でもその時間をたまに振り返り、他の方のお話を思い出しては、なるほどそういうことかぁと理解を重ね、ゆっくり深めたりしている。

なぜ年齢も性別も文化も違う、さらには普段話す言葉も違うものどうし、それぞれが楽しく、充実した対話を重ね、いくら時間があっても足りないと感じるような場になったのかなぁ?と考えてみる。絵本という素材がよかったのかも知れないし、その内容がよかったのかも知れないし、偶然に集まった方々のそれぞれの聴く姿勢というのも、かなり大きな要因だろうと思う。

そんな感じで考えを深めていく時、あれ?もしかしたら、僕たちは「誰にもわからないこと」について語っていたからかも?と気づき始めた。誰にもわからない死、誰も経験していない死、しかしながら、誰にも訪れる死。その「誰にもわからない死」を前に、僕たちは年齢も、性別も、文化も、言葉も、経験も、知識も超えて、「平等」になる。「平等」にならざるを得なかったのか。

そうか、僕たちは「平等にわからないこと」に向かい合って対話を重ねる場によって、それぞれが「平等」になっていたのだ。あぁ、もしかしたら、ずっと幻だと思っていた「平等」に、デスカフェを通して僕はちょっと触れたのかもしれないゾ。

平等にわからない

「平等にわからないこと」について対話を重ねる時、そこに現れるのは、誰にも評価されないそれぞれの「信」に裏付けされた「私はこう信じる・こう思う・こう考える」しかない。その話を「もう少し知りたい、聞いてみたい!」はあっても、「その話は違うよ!」はないだろう。

「死んだらどこにいくんだろう?」の、そこがどんなところか想像もつかないけれども、僕はお坊さんで、僕自身は霊山浄土ってところに行くんだろうなって結構固めに信じているし、そうじゃないと僕の今の「生」が否定されるとも考えている。でも、それは僕自身の今までの体験や経験から育まれてきた、誰のものでもない、誰に強要されたものでもない、さらには誰に評価されることのない、僕自身の「信」だろう。

デスカフェで「平等にわからないこと」に向かい合う。誰もがすでに何かしらの「信」を持っていて、それゆえに、そこからその人と一緒に、その人の持つ、その人だけの「信」を思い出しながら旅がはじまっていく。それはその人が何よりも大切にしていることかもしれない。とっても繊細で、ふわふわと柔らかくて、傷つきやすいもの。

僕は、その大切なものを出してくれるのにふさわしい環境の1つになっているだろうか。そういう場になれるように強く意識して、来年も引き続き、この大切な場を育て続けていきたいと考えている。今年、参加してくれた皆さん、ありがとう。

【追記】このデスカフェをサポートしてくれる方を探しています。僕一人だとなかなかキツいんです。もし、この場を任せてもイイなと思える方が見つかれば、オープンにもしていけるし、とても永いスパンで継続もしていけるんですよね。

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小山田和正 linktr.ee
一般社団法人WORKSHOP VO 代表理事
元)東日本大震災津波遺児チャリティtovo 代表
法永寺(青森県五所川原市)住職
FMごしょがわら「こころを調える(毎週月13:05)」