⑦ 妻と猫

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2024.12.31 更新

⑦ 妻と猫

髙橋厚史

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12月、真っ白になったりんご畑で、りんごをもいでいた。足下で、麦色の毛皮を被った猫が鳴いていた。人なつこく、足に顔をなすりつけてくるから、雪が深くただでさえ歩きづらいのに、気を遣って歩きづらかった。

いないと思うと、梯子の上に座っていて、時おり差し込む太陽の光を浴びて、目を細めていた。小屋でお昼ご飯を食べていると、目の色を変えて、食べ物をせがんできた。あげるものもなく、あげるつもりもなかったのに、その勢いに押され、水で塩気を落としたせんべいをあげると、あっという間に食べ、もうないのかとせがんできた。それでも少しは落ち着いたのか、膝の上に乗ってきて、なでてやると、喉を鳴らしながら丸くなって、浅い眠りに落ちていた。家にいる猫とは違う毛並みだった。

でもその、少しきしんだ麦色の毛並みの感触を、この手は、よく覚えている。

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そぼろという猫がいた。茶トラの雄猫だった。街の野良猫で、人なつこく、簡単に白い柔らかそうなお腹をさらして、人間の素朴な思いやりを刺激し、食べ物をもらい生きている、したたかで自由な猫だった。

そぼろはある日、おれが友人といっしょに住んでいた小さな家にやってきた。最初は、玄関でエサを食べていくだけだったのに、いつの間にか、居間の一人掛けのソファで丸くなって寝ているくらい、家に入り浸るようになり、彼がいることは、おれや友人にとって、生活の一部になっていた。

当時、お付き合いの関係だった妻も、おれたちの家で、そぼろに会うことを楽しみにしていた。これまで動物といっしょに住む経験のなかった彼女は、最初こそ、一定の距離をそぼろとの間に置いているようだったけど、そぼろにそんなものはなかったから、お腹がすけば、彼女の足にも顔をなすりつけてきたし、なでれば、気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らしていた。

きっとそぼろは、危害を加える気配がなく食べ物をくれる人間であれば、誰でもよかった。あの時あの場所に、たまたまいたそういう人間が、おれたちだった。それだけだった。それだけだった時間は、そぼろと過ごしたおれたちそれぞれに、消えない意味を残して行ったのだと思う。

冬。そぼろが来なくなった。数日、数週間、数ヶ月経った。よくあることだ。日々言い聞かせた。何も用事がないのに玄関を開けてみたりした。冷たい風が雪と連れ立って吹き込んでくるだけだった。聞き慣れた鳴き声が聞こえてこないかと耳をすませてみたりした。冬の重厚な静寂で耳の奥が埋まるだけだった。

寒さが和らいできた頃、軒先に置いていたテーブルの下でうずくまっているそぼろを見つけたのは妻だった。ずいぶん軽くなっていた。ごはんを食べた後、そぼろは妻の膝の上で眠り始めた。冬を辛うじて乗り越え、みすぼらしくきしんだ麦色の毛皮を、なでている妻の小さな手を、おれは見ていた。

その後のことは、あっという間だった。疲弊し切っていたそぼろをそのままにしておけず、妻といっしょに住むことになった家に、おれは彼を連れて行った。病院にも連れて行った。それでも彼の衰弱は止まらなかった。りんごの花が咲く頃、彼は息を引き取った。りんご畑の見晴らしがいい場所に、彼を埋めた。

今でも、どうすればよかったんだろうと考える。

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そぼろのような、でもそぼろではない、麦色の毛皮を被った若い雄猫が、膝の上で眠っていた。連れて行きたかった。でも彼には彼の生きているところがあった。だから祈りながら、真っ白いりんご畑に置いていった。

それでも気になってしまって、同じ日の夕暮れ時、畑に向かった。その途中、一台のトラックとすれ違った。うちの畑の近くにある、別な畑の人だったのだと思う。おれたちが日中そこを通った時にはなかった焚き火があった。焚き火から少し離れた小屋の軒下に、あの茶トラの猫がいた。目を細めて、温かそうにしていた。

それ以来、その猫の姿は見ていない。幻だったのかもしれない。そんな話を妻とした。焚き火があった畑の人が家に連れて行ったのかもしれない。温かいところにいて、ご飯にも不自由なく、みんなに可愛がられているのかもしれない。そうではなくても、どこかで生きているかもしれない。生きていないかもしれない。そういう話もした。そういう話をしながら、真っ白いりんご畑で、あの猫と過ごした短い時間による温もりと寂しさを、二人で分かち合っていたのだと思う。

今年は、妻と二人でいる時間が多かった。いろんなことがあった。それでも、大きな怪我や病気もなく、なんとか年の暮れまでたどりつけたことを、二人で何度も噛みしめた。

ことばも多く交わした。何が残って、何が残っていないのかもわからないほどに、二人のあいだを、無数のことばが行き交い、届いたり、届かなかったり、落ちて、落ちたままで、ふとした時に拾ったり、拾われたり、拾われなかったり、そのまま忘れられ、落ちたところで、とけて、染み込んで、忘れかけた頃に、芽吹いたり、芽吹かなかったり、していた。

そうやって、おれたちのあいだも、ずいぶん耕された年だった。おれ自身も耕されていた。耕された自分は、来年、どんなあいだとぶつかるのだろうか。躓くのだろうか。

来年の今頃には、どんなことばが、この手に残っているだろうか。

髙橋厚史(たかはし あつし)
・りんご農家(株式会社Ridun
・読み書き聞く人(office SOBORO

office SOBORO(note)

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