⑤ 上とハネ
HOME ‣ 連載 | あいだに漂う ‣ ⑤ 上とハネ (2024.10.15)
10月だ。こたつを出した。居間と仕事部屋に1つずつ。冬、籠もる気満々かよ。だってけっこう寒いぜ、個人的に、もう青森は、夜、タートルネック着ちゃってるくらいだぜ、おれは。
ともかく10月だ。10月に入ったことで少しホッとしている自分がいる。今年は、りんごの収穫まで遠かった。9月までなかなかしんどかった。収穫を迎えたら喜びよりも安堵の方が先にやってきた。そしてできたら早く終わってほしいとも思った。冬の作業に突入する前の少しの間だけでいいから、無防備にぶらさがっているりんごの心配をせずに、ぬるま湯のような安堵にどっぷりつかって、こたつで時間とともに溶けていたい。
少しでも物事が前に進めば、それだけ早くぬるま湯にたどりつける。シンプルシンプル、とてもシンプル、それだけのこと。あと2ヶ月、あと2ヶ月、と自分に言い聞かせていたら、10月がもう半分、終わりかけているので、混乱している。
最近マジで時空が歪んでる。
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今年で何度目の収穫を迎えただろう。4度目だ。最初の年は大変だった。10月下旬が旬のりんごを12月まで収穫していた。
最後の方は、薄暗い畑で雪を踏みながら妻と収穫していた。やわらかくなりすぎた、味のぼやけた赤いりんごを、市場に出荷した。そんな状態のものでも、市場に出すと値がついた。今思うと不思議なことだった。あんなりんごを、いったいどこのだれが買ったのだろう。そんなりんごを辛うじて、それこそ必死にかじりつくように、うまいりんごだと思って、何かを保とうとしていた自分が今、そのりんごを思い出してあっさり、あんなりんご、と言っていることも、不思議で滑稽だと思う。
4年という時間で、だいぶ市場的なりんごの見方にも慣れてきた。収穫したりんごは、市場に出荷する前に選果する。君はこっち、あなたはそっち、というグループ分けをする。大まかに「上実」、「ハネ」、「加工」という等級があって、さらに大きさによっても分けていく。「上の小」とか「ハネの大」とか、そういう風に分けていく。うちの畑ではだいたい、5か6くらいの分類で選果をする。
この選果という作業が去年まで嫌だった。毎度、成績表を突きつけられて、お前はダメだと言われているような気持ちになった。ほかの人といっしょに選果をしていると、それは「上」にいれるようなりんごじゃないよ、そんなりんごは「ハネ」にもならないよ、と思うこともあり、でもそれを当人に言えるわけでもなく、飲み込んで、ふつふつと苛立ちを募らせていた自分も嫌だった。
今年、そうでもないのは、市場的な基準で識別された「上」や「ハネ」のりんごを、もうあまり信じていないからだと思う。
信じてはいないけど、そういうものによって、大きく動いているものがあるし、人もいて、経済が回っている。回っている経済に乗っていかなければ、お金を得ていくことはできない。その経済を回している、そういうものを、信じていなくても、回っているそれに乗って、お金を得ていくことはできる。
もっと言えば、信じていないことによって、あるいは、べつなものを信じていることによって、罪悪や嫌悪、怒り、悲しみを感じる自分を、いったんどこかに、保留してしまえるようになれば、回っている経済に乗って、お金を得ていくことは、案外、難しくなかったりする。
もっともっと言えば、何かを信じたり、信じない、という思考の構えは、お金を得ていくことにとって、差し支える時がある。何かを信じたり、信じない、ということで、仕事に弾みがついて、いい時、もあるけど、もし純粋に、お金を得たいのであれば、あまりそういうことについては、考えない方がいい。
りんごに食わせてもらうようになって、そういう、たぶん、多くの人たちが当たり前のように知っていることを、少しずつ自分が学んでいるような気がしている。
話がそれた。いや、微妙に重なってくるのか。
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再び「上」と「ハネ」の話。
市場的な識別基準は、りんごの見た目を最優先事項としている。だから、色がよく形もいいりんごは、「上」のりんご、となる。色づいてはいるが「上」ほどの色ではなく、形も多少いびつ、傷がついていたりもする、でも、生で食べるのに支障ないりんごは、「ハネ」のりんご、となる。
生産者が市場に出荷できるのは、「上」や「ハネ」のりんご、つまり生食用として、消費者に売ることができるりんごだ。「ハネ」にも入らないりんごは「加工」に回る。自家用のジュースやジャムになったり、「加工」のりんごを専門に買い取ってくれる事業者もいるので、そこに持ち込んでお金にする。
「上」のりんごは高く売れる。「ハネ」のりんごもそこそこの値段になる。「加工」のりんごは安い。だから生産者としては、「上」のりんごをたくさん作りたい。そしてなるべく「加工」のりんごを減らしたい。大雑把に考えると、そういう方針で園地を運営していくのが、生産性の高いやり方になる。お金は、それが上手な人たちのところに入るし、下手な人たちのところには入らない。
ところで、このりんごの識別基準に、美味しさ、という項は、組み込まれていない。厳密に言えば、色がよく形もいいりんごは美味しい、というかたちで、組み込まれてはいる。実際のところどうかというと、見た目の良さと美味しさに、厳密な相関関係はない。
でも、つい先日放送されていた、朝の情報番組のりんご特集で、出演者の「お尻まで真っ赤なりんごが美味しい」という発言がしっかり拾われていた。それは、半分正しいけど、半分正しくない。
たしかに、成熟の過程で、りんごは赤くなっていく。一方で、りんごが赤くなっていく過程は、人為的に早めることができる。葉っぱを取り、シルバーシートを敷いているのは、りんごの色を良くするための作業だ。だから「お尻まで真っ赤なりんご」は、必ずしも、熟したりんごではないし、必ず美味しい、と保証できない。
4年間、りんごの栽培に携わって、そういうことを知った。たぶん、りんごを生産している人たちは、そういうことを、多少なりとも、知っているんじゃないかと思う。
でも、通説は、「お尻まで真っ赤なりんごが美味しい」なのであって、そういうことになっているから、「上」のりんごが、市場において、高い値段で、買い取られている。
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その話を初めて聞いた時、そんなまさか、と思った話がある。贈答用で送られてきたりんごがまずかった、という話。都市伝説じゃないかと思って、その時はへらへら笑っていた。だって、贈答用ですよ。そんなわけ。
今年、青森県から、りんごの早もぎをしないように、というおふれが出た。早もぎのりんごが、青森りんごの信用に傷をつけている、という話も、今までちらほら聞いていたけど、県という主体から、暗にそういうことを含んだ注意喚起がなされた、ということに、青森のりんご産業にも変わり目が来たのだろうかと思った。
そうは言っても、市場では、早く出てきたりんごが高く売れる。つまり、高く買う人たちがいる。どうして、その人たちが高く買えるかというと、売り先があるからだ。つまり、さらに高く買ってくれる人たちがいる。その人たちがどうして以下同文、以下同文、以下同文、という、この売買の果てに消費者がいる。
いるはずなのだ。
そしてその人は「見た目がいい美味しくないりんご」にお金を払っている。
文字にしてみて、自分でも首をひねった。
でも実際、今のところ、そうとしか書きようのないことが起こっているし、今まで数え切れないほど起こっていたのだと思う。
じゃあ、「見た目がいい美味しくないりんご」にお金を払い、その人は、何を買ったのか。
たぶん、今、それをちゃんと考えて、荒削りでも、ひとつ、自分にとっての考えを、まとめておいた方がよさそうだと思った。
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りんごの収穫の時期なので、なんとなく「上」と「ハネ」について書き始めてみたら、けっこう、やりがいのあるテーマだったので、次回に続きます。
髙橋厚史(たかはし あつし)
・りんご農家(株式会社Ridun)
・読み書き聞く人(office SOBORO)