① 白と黒
HOME ‣ 連載 | あいだに漂う ‣ ① 白と黒 (2024.6.12)
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青森もだいぶ暑くなってきて、そろそろTシャツの季節かと思いタンスをがさごそしてみるけど、ぜんぜんTシャツがなくてどうしようと途方に暮れた。農作業で使う通気性のいいものはたくさんあるし、それで事足りようにしていけばいいだけなんだけど、ちょっと外にお出かけ、みたいな時に着れるようなテンションのあがるTシャツは1枚くらいしかなくて、それすらだいぶくたびれてきている。おれはこの夏を無事に乗り切れるんだろうかと、ひとりタンスの前で途方にくれる。
Tシャツといえば昔は、黒や白のものをよく着ていた。大学生になった頃は、中学高校と制服というものによりかかって衣服のセンスをまったく磨いてこなかったので、いやもう黒か白を着てればモンダイないっしょという感じで、黒と白にだいぶよりかかってだらだらと四半世紀生きてきた。時々思い出したように、青とか緑の服を買って着ていた頃もあったけど、なんだか落ち着かずしばらく経つと、モノクロ先輩たちのところへふらふらと戻っていき、青とか緑の服は寝巻きとかになって自堕落な大学生活を下支えしてもらった。
そういえば近頃は黒と白の服を着ることはめっきり減った。会社勤めでもないし、フォーマルな場に呼ばれるほど大したこともしてないし、いやぁ最近結婚式ばっかで大変ですわとぼやけるほど友達もいない。りんご畑と家を往復する日々。人の目を気にすることもあまりないし、たまにどっかへ出かけるなら、センスがいいかは別として、ちょっと明るくて風通しのいい服を着て、畑以外の空気にふれたいなぁと、心持ちも変化してきたのかもしれない。
モノクロ先輩たちはというと、農作業着や寝巻きとして活躍していただいている。人に見せるものでもないので、がしがし使って、汚して、くたびれていただいている。彼らを物干し場で干していると、黒は黒でだいぶ色落ちしてぼやけてきたし、白は白で自分の皮脂汚れでほんのり黄ばんできたりしていることにふと気づいて、一周回ってなんだか愛おしい気持ちになる。彼らとともに、けっこうハードだったここ数年を乗り越えてきたのだと、頼もしさすら感じる。まだまだ働いてもらいますよと優しくシワを伸ばし、ハンガーに掛ける。
彼らはもう、おろしたての時のような、バリっとした存在感のある黒や、白ではないけど、その色褪せて、くたびれた感じは、おれの肌によく馴染み、薄い紙で簡単に切れて血をにじませる心許ない皮膚で包まれたおれの体を、守ってくれている。
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白黒はっきりしてほしいと言われると途方に暮れてしまう。
「白黒はっきりしてほしい」とそのまま言われることはほとんどないけど、それってつまり白なのか黒なのかはっきりさせたいってことですかと思うことを言われる時は度々あって、その度に途方に暮れてしまう。答える言葉が見つからず、俯いて、黙り込んでしまう。白か黒かはっきりしたら、どこかに行けるんですかと、心の底で思ってしまう。
とは思うものの、白黒はっきりつけたい自分ももちろんいる。
自分を白い方に置いて、向こうを黒くしたり、自分を黒い方に置いて、向こうを白くしたり、そんなオセロみたいなことを頭の中で延々と繰り返す日がある。よく飽きずにやってるなぁと自分でも思う。それでどこかに行けた試しがないわけではなく、どこかに行った時もあったけど、ろくな場所ではなかったので、白黒はっきりつけたく自分がなったら、喉元までせりあがってきた言葉をぐっと飲み込んで、黙るようにしている。言ったところで、どこにも行けないだろと、心の底で思うようにしている。
ということもあり、白か黒か、みたいな話になると若干気後れして、途端についていけなくなる。とくに最近はそれに拍車がかかって、そういう話になりそうになったら、すいませんちょっとおトイレに、と席を外してたぶん、そのままどこかに行って帰らないと思う。
でも、白と黒、みたいな話だったら、たのしくやれそうな気がしている。とくに、白と黒、の、「と」、の部分の話、だったら、むしろじゃんじゃん話したい。「と」は、白と黒のあいだにあって、二つをつないでいながら、隔ててもいる。「と」という地味な助詞が含んでいる「あいだ」の広さ、深さ、あるいは狭さ、浅さが、とてもおもしろいなぁと思う。
もちろん、白なのか黒なのか、はっきりつけないことにはもう、どうにもならない状況、ただただそこに関わるものが疲弊していくことしかないような状況があるということも、重々承知している。
そしてそのような状況になった時、おれには、その空気が薄く張り詰めた場に、少しでも別な土地の匂いを含んだ風を通すような言葉がないということ、白か黒か、善か悪か、生か死か、そういう選択を迫られ逃げるわけにもいかずおれが、この「おれ」が、決めなければ、それは打破されていかない、という状況に、残念ながらおれはめっぽう弱い。
けれども、そういう状況はそうそうあるものでもないとも思うし、おれはこの世界の主人公ではないし、おれの肩に全人類の命は載っていないし、おれの指の先には地球を何個分も破滅させるようなスイッチは置かれていない。
家の猫がかわいくてかわいくて気持ち悪い裏声を出す時もあるし、妻に苦言を呈されると簡単にへこんでいつまでもいじけているし、いろんな人から心配されるくらいガリッガリに痩せている。夜、早起きして仕事するぞと決意しても、朝、簡単に二度寝する。大したことでもないはずのにうれしくて涙が簡単に出るし、同じように悲しくてつらくて簡単に涙が出る。
そんな振れ幅でいつもゆらゆら揺れてて疲れない?と言われることもある。けっこう疲れる。どっしり構えて、迷いなく、物事を次から次へとさばけたら、どんなにいいだろうと思う。でも、うまくいかないし、落ち込むこともある。ちゃんと決めて、自分が決めたことにちゃんと重さをもたせて、生きてみたいし、生きていけるようになりたい。
でもこの、白と黒、の、「と」、の部分のような、あいだを漂う感覚も、ちゃんと持ってはいたい。あいだに漂うことで、それがどう実を結んでいくのかはわからないけど、いつか後に引けない選択や決断を迫られた時、漂っている間に身になっていたものに、助けられることもあるんじゃないかとも、うっすら思っている。
そういう心持ちで、あいだに漂った記録を、コツコツとここに置いていければいいなぁと、思います。
あと、テンションの上がるTシャツ、探しに行きたいです。
髙橋厚史(たかはし あつし)
・りんご農家(株式会社Ridun)
・読み書き聞く人(office SOBORO)