④ 鶏とコロナウィルスが教えてくれたもの

2022.9.7 更新

④ 鶏とコロナウィルスが教えてくれたもの

赤石嘉寿貴

9月に入りようやく暑さも和らで来たかに思える新城市。二十四節気では「処暑」にあたるらい。

処暑(しょしょ)とは、厳しい暑さの峠を越した頃です。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきます。暑さが和らぎ、穀物が実り始めますが、同時に台風の季節の到来でもあります。( https://www.543life.com/season/shosho )

たしかに朝も夜もかなり涼しく感じてきた。体中から汗を吹き出しながら夕ご飯を食べることもなくなった。朝方もタオルケット一枚だと少し肌寒く感じてきた。それでも日中はまだ30度を超える日が続いている。

畑仕事の方は白菜、キャベツ、ブロッコリーなどの秋冬野菜の苗作りを始めたり、春から夏にかけて太陽をたくさん受けて育ったキュウリやメロン、スイカが終わりを迎えた。ナスはまだまだ実をつけている。夏に食べられるすべての野菜がそうではないと思うけれど、今あげた作物達は畑という冷蔵庫に常備される天然のペットボトル飲料のようなものだなと思った。地中から水分を吸い上げて体の中にたくさんの水分を蓄えている。けして人間のために甘くなったり、水分を蓄えているわけではないけれど有り難いことに人間はそれを美味しいと思って食べて、身体から出ていった水分を野菜たちが作り出した栄養と共に取り込んで、また真夏の炎天下での畑仕事ができる。

8月の初旬にはコロナウィルスに罹り、そんな水分たっぷりの食べものが喉を通りやすく体の回復の助けになった。症状は熱が上がったり下がったりを繰り返しながら1週間ほどかけて平熱に戻っていった。喉の痛みも少なく、咳もさほど出なかった。頭痛もありほとんどん寝て過ごしていたせいか、10日間の自宅療養を終えた病み上がりの体はなかなか思うように動かなかった。

休みの日に出かけてどこかでもらったのだと思うけれど、外出するときは一般的に言われている感染症対策は行っていた。もちろん普段は山の中にいて外での作業がほとんどで知らない人が出入りすることがほとんどないので感染症対策なんてとることはない。この空気中や触っている土の中には名前もない菌やウィルスはたくさんいて入れ代わり立ち代わり自分の体の中に入ってきているだろう。そうしたものを排除するために日々体の中では戦いが起こっていて、こうして今元気に暮らせているということは自分の体は未知のものに対抗する力を上手に発揮できてるということだ。

コロナ禍になってからインフルエンザウィルスに罹る人が減っているというニュースが流れている。マスクをしたり手洗い消毒が徹底されたりしていること、人と会うこと近づくことが制限されたりしていることが要因となっていると言われている。風邪と呼ばれるものも何らかのウィルスが体の中に入って来た時それを排除しようとして熱が上がったり咳が出たりする。身体は常に何らかの菌やウィルスにさらされるのが通常でそれに対抗するすべが備わっていると思う。もちろんそういった身体の機能を持ってしても防げないものもある。

自分の子供時代を思い出してみると-自分の場合は山と海が側にある田舎で育った-学校の帰り道にこんな道通れるのか?と思うようなところを通って、それこそ道草を食って遊びながら帰った。整備されていない場所、普段人間があまり通らないような場所には目に見えない色んな生物が住んでいるはずで、そういうものに触れることでもしかしたら時々病気になっていたかもしれない。学校での集団生活は菌の交換会でもあると思うし、そうやって皆が持ち寄る菌を少しずつ取り入れ身体の免疫機能が高まっていってたのかもしれない。

今はマスクに消毒でコロナウィルスは防げているように思えるけれど、その他の軽微と思われるウィルスや菌もシャットアウトしてしまっていてそういったものに対する抵抗力が失われていってしまうのではないかと危惧している。

農作物にも言えることかもしれないが消毒・殺菌で虫、病原菌を排除するのが一般的だ。そうやって守られた作物は今の人間と一緒で本来備わっているはずの病気に対する抵抗力を奪われてしまっている。

松沢さんの言う、人間には不必要だと思われる虫や草、病気を排除する「排除の論理」で考えていくと、絶妙にバランスを取りながら成り立っていた畑の環境が変わってしまい、生態系のバランスが崩れてしまうことである種の生物だけが以上に発生してしまい思わぬ痛手を被ることになってしまう。

松沢さんがよく話をされる福津農園の鶏に関するエピソードはとても示唆に富んでいてコロナウィルスが蔓延している現代を生きる我々にも参考になるかもしれない。

「うちの鶏達はこうやって鶏舎の中を自由に動き回って土浴びをしたりしていて、自然の太陽光や空気が入るように一部屋根がない部分もあったり金網で囲まれている鶏舎になっている。こういう環境にいると小鳥やなんかが来たりして、その小鳥がウィルスやなんかを持っていることがある。そういうものや自然の空気中から少しずつウィルスや病原菌を身体の中に取り込んでいくことで自己免疫が高まっていく。緑餌や発酵飼料で食べるものも健康的で免疫力を高めてくれる。」

たまにニュースで「鳥インフルエンザで何万羽の鶏を殺処分」と目にすることがあると思う。一般的に卵養鶏では1羽の鶏に与えられたスペースは狭くほとんど身動きがとれない、人間で例えると畳1畳に2人というような狭いスペースに1~2羽の鶏がいる。十分換気され外の空気を取り入れていると言っても、太陽光があたらない作られた明かりが照らす閉鎖された空間で卵を生むためだけに生活している。そんな空間にいたらストレスも溜まる。隣の鶏や一緒の部屋に入っている鶏を突いて怪我をさせないようにとクチバシも先を切られる。

農園の鶏を見ていると威嚇するために仲間を突いたりするのを見ることがあるがそれだけで死ぬことはない。まれに卵を生んでお尻から血を流しているとその鶏のお尻を突いて、腸や内蔵まで食べて血がでなくなるまで突いて殺してしまうことがある。血は他の動物をおびき寄せてしまい群れを危険に晒してしまうという自然の中で生きていたときの本能なのかそういう行動がたまにある。

本来なら土浴びをして病原菌を洗い落としたり、動き回りたいはずの鶏がそういう場所に入れられたらどうなるだろう?人間でも蛍光灯の明かりのもと閉鎖され空調管理が行き届いた空間でずっと何かをやらされたらストレスフルになってしまう。そうすると筋肉は落ちていくだろうし免疫機能は落ちる。そんなところに鳥インフルエンザがやってきたらそれに抵抗するすべもなく死んでしまう鶏もいるかもしれない。

鶏舎を消毒することもなく、ワクチンを打つこともなく、今まで周辺で鳥インフルエンザが発生した時もここの鶏たちは感染することなく(感染したけど自己免疫で防いだ?)生活している。

また、農園の周辺の養鶏所で「ニューカッスル病(新城病-イギリスのニューカッスルという場所で発見された)」という鳥類のウィルス性感染が発生した時があり、その時に保健所の職員が来て検査をするとここの鶏はそれに対する抗体を持っていて問題なかったという話もある。

鶏と人間は違うから関係ないよと思うか、人間も動物であってそういう能力はあるかもしれないよね。と思うかどうかは人による。人間は言葉や道具、思想、様々なものを発明して危機を乗り越えてきたのかもしれないし、それが人間を生き残らせてきた能力なのかもしれない。

それでも自分は動物としての生命力にも目を向けたいと思う。

ここまで書いてきて、ふとウィルスとの関係は人間の関係にも当てはまるのかな?と思った。

ウィルスを少しずつ受け入れてみることで免疫機能が働き強くなっていく。ウィルスはなくなることはなく周辺に漂っているれど一度免疫ができたらそれらは自分を脅かす存在ではなくなり周囲に漂う隣人になるのかもしれない。

だとしたら違う種類の人を受け入れることは心の免疫機能を高め、そういう存在が隣にいるという感覚。いるけれど一度受け入れているので(体の機能を維持するために排除しているということはあるかもしれない)対応の仕方がわかっている。そこから遠ざけるのではなく共存していくということにつながるのかもしれない。やっきになってマスクや消毒で始めから受け入れないという姿勢は見方を変えれば異物を排除するという姿勢にもつながるのかもしれない。(ウィルスによるダメージのリスクはもちろん考えなければいけない、受け入れてそれで自分が立ち上がれなほどのダメージを負ってしまっては元も子もない。人間関係も同じかな?)

未知のものに出会った時それを受け入れてみようと思うのか、これは異物だと思って自分の中に取り込むことなく排除してしまうのかでは、先に広がっていくものが大きく違ってくるかもしれない。

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赤石嘉寿貴
生まれは大阪、育ちは青森。自衛隊に始まり、様々な仕事を経験し、介護の仕事を経て趣味のキューバンサルサ上達のためキューバへ渡る。帰国しサルサインストラクターとして活動を始める。コロナ禍や家族の死をきっかけに「生きる」を改めて考えさせられ、現在は愛知県新城市の福津農園の松沢さんのもとで農業を勉強中。 Casa Akaishi(BLOG)